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zoom RSS 量子論の可能性 と 日本の精神的な遺産の可能性

<<   作成日時 : 2018/04/24 20:51   >>

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【量子論による発想の大転換】
量子論は、粒子ではなく、波やエネルギーにも現世の本質を見ました。

他にも、
・観察者の意識がミクロの対象物(電子など)の状態(粒子が波か)に反映すること、
・ミクロの世界では、電子などの存在は確率論でしか表せないこと、
・「量子もつれ」というペアになった量子は何光年離れていても「瞬時に」片方の状態がもう片方に伝達される現象(光速より速い瞬時の情報伝達)
・この世は仮想現実と変わらないこと、
など画期的な点がいくつもあります。

それらの摩訶不思議を受け容れる土台が、
「現世の本質は粒子」という、ギリシャ以来の固定観念からの脱却と
「現世の本質はエネルギーで、それは波や粒子の形で現れる」という新たな現世観の受け容れだろうと思います。

さらっと書きましたが、
○エネルギーが本質。
○波や粒子は、エネルギーがその時々で形を変えているに過ぎない。
というのは、近代以降の世界観の大変革です。

それまでの科学は、物質の殻に閉じこもっていました。それゆえ、デカルトは物質と精神を分けることから始めました。

(注)それには以前の記事で書いたように、うるさいキリスト教会から距離を置くことも考慮の内にあったことでしょう。


【量子論の可能性】
「エネルギー」を扱うなら、精神や生命、神霊、超能力といった、これまで科学の外側と整理されてきた存在も扱う可能性が出てきます。

実際、著名な科学者が生命の輪廻転生が量子論で説明できると言い出したり、神を量子論で扱えると京大名誉教授が言ったりしています。

直感的には、少なくとも古典物理学が対象とするモノは、エネルギーが本質であり、その3次元的な形態として、粒子や波の形をとるという気がします。

ということは、私のように、神霊(正神、邪霊など)の存在を信じる人間からすれば、エネルギーにも、
○3次元世界で粒子や電磁波の形態をとるエネルギーもあれば、
○神霊、思念、気のように別の形態をとるエネルギーもある
といった多様性があるのではないか、と思えてきます。


【脱線(宗教について)】
エネルギーに種類があって3次元での発現形態が異なるならば、
○3次元に近い霊的な存在は3次元に関与しやすく、
○それより高次の正神は仕組みは作れても、3次元に直接的な関与をすることが難しく、
○それゆえに、思念(正神の意を汲む)を持った人間が必要だったのかも知れません。

そういう観点で見れば、様々な古典宗教は、ただただ
○正神の意を汲み、
○邪霊から離れる
方法を説いているのではないかという気もしまなくはないです。

例えば、この方法というのは、仏教では「八正道」、ユダヤ教では「神との契約(戒律)の履行」、キリスト教では「愛」、神道では「正直と感謝」です。

なお、いわゆる新興宗教やスピリチュアルの信者、商売霊能者は、例外なく、金などの現世的な欲望にまみれておりますから、邪霊崇拝者と考えます。


【上古日本の直感的言語】
エネルギーや波というので、ハタと思い当たるのは上古日本の言葉に現れた神霊観です。

私は、上古日本人の直感智は、量子論の先を行っていると思います。以下、量子論を補う趣旨で、少し掘り下げてみたいと思います。


上古では、神霊に関して「ちはやふる」「あらぶる」といった表現を使います。

このうち、
○「ちはやふる」は正神に関する語であり(「ちはやふる神代も聞かず」のように、「神」の枕詞)、
○「あらぶる」は邪霊に関する語です(「荒ぶる神々をば神問わしに問わしたまひ 神祓えに祓えたまひて」)。

これまで何気なく、「あらぶる」は「荒ぶる」かと思っていましたが、「ちはやふる」と並べたとき、
○ちはやふる(霊速振る)←霊的な何かが速く振る。振動数が高い。
○あらぶる(粗振る)←粗く振る。つまり振動数が低い。
ということではないのか、と思いました。

古事記では、天孫降臨前のたくさんの邪霊が人間にイタズラして不幸にする様を「さばえなす」と表現しています。
ハエ(蝿)の羽音は不快な低音ですが、振動数が低いと低音になるので、「さばえなす」は奇しくも「粗振る」と通じます。なお、頭についている「さ」は「さはに」などに用いられる「多い」という意味でしょう。

同じエネルギーでも、
○波のままだと高い振動数ですが、
○粒子の形をとるとそこにエネルギーが使われてしまい、振動数は低くなります。

つまり、
○「ちはやふる」は、物質化に変なエネルギーを使わない神代の状態、あるいは3次元では物質化できない存在
○「あらぶる」は、物質化して形質の拘束力が強くなった状態
とも言えるかも知れません。

こう考えると、物質界に近いほど「あらぶる」状態だと言えるでしょう。

なお、脱線ですが、古神道では、人間の存在について「一霊四魂」という概念があります。魂にクシミタマ、ニギタマ、サチタマ、アラタマの四種類あるというのが四魂です。
ここでも肉体(物質)やそれに近いもの(霊体)を「アラタマ」と言います。「荒魂」という漢字が当てられますが、「粗魂」が原義に近いかも知れません。他の三つは「奇魂」「和魂」「幸魂」でそのままイメージが湧きます。

以上見てきたように、
○エネルギーがそのまま振動として現れるのが「ちはやふる」、
○物質化したり、物質界に近いのが「あらぶる」
だと感じます。

そして、振動が粗(あら)いと、この物質界に現(あらわ)れやすくなると。。キリスト像やマリア像が涙を流すなどの超常現象が邪霊の仕業である所以です。
粗(あら)い、荒(あら)い、現(あらわ)れる、、、日本語は、本当によくできています。


先述のとおり、正神はこの世に直接の関与が難しく、人間の良心(誠)によって、その意思を現実化するしかないのでしょう。
マザーテレサが、神に「私をお使いください」と祈ったのは有名な話です。神は直接何かをすることはできないので、物質界に住む良心に沿う人間の言動や行為を通じて、その意思を実現するしかないという達観です。


【「引き寄せの法則」は邪霊を引き寄せる】
一方、量子論のことが知りたくて動画を漁っていたら、スピ系のバカどもが、「意識が現実化するという『引き寄せの法則』は量子論によって裏付けられる」と宣伝し始めているのを見つけました。
基本的にスピ系の主張は気持ち悪いことが多いです(注:人相も悪いです)が、このような動画を見つけて胸糞が悪くなりました。

私は、「アンチ成功哲学」、「アンチ引き寄せの法則」です。
「成功哲学」や「引き寄せの法則」の何が悪いかと言えば、人間の中の低劣な欲望を増幅させ、人間を利己的にさせることです。先ほどのマザーテレサとは真反対で、良心を消してしまうのです。

あの世では意識がそのまま現実化することもあるのでしょうが、この世はそうは問屋がおろしてくれません。不自由だからこそ、この世に生まれてくる意味(日常生活を通じた感謝修行)があるというか。。。

「引き寄せの法則」を使うと、なぜ欲望が増幅するのでしょうか。

物質的な欲望というのは、先述の通り、(霊的な)振動数が低いものと理解できます。
物理の法則でも振動数の同じものは共鳴しますから、欲望を強くすると、振動数の低い「あらぶる神々」が寄り付きやすい状態を自ら作り出してしまいます。その結果、欲望が益々増幅します。

逆に、高周波数(ちはやふる)良心は引っ込んでいきます。良心こそ正神とつながっていると考えれば、邪霊に憑かれ、正神から遠ざかるのが「引き寄せの法則」の効果です。
邪霊が喜びそうなことですから、邪霊に魅入られた連中が広めているのでしょう。

「引き寄せの法則」の元になったのは「成功哲学」であり、その元になったのはヨガ系のインド哲学です。オウムがヨガ系インド哲学だったことを思い出す必要があるでしょう。要は、引き寄せはオウム信仰の兄弟です。

「引き寄せの法則」で説くのは、「金の引き寄せ」というのが多いです。現世では金は様々な欲望を実現してくれます。まさに欲望のシンボル、欲望の代表選手です。
イメージすれば、大金が転がり込んでくるらしいです。笑

ここまで読んでいただいた方は分かると思いますが、「大金が欲しい欲しい」と念じて何を引き寄せているかと言えば、「あらぶる神々」です。結果、心が荒みます。人への感謝や思いやりを忘れます。


【正直じいさんの昔話は真理】
正直じいさんと意地悪じいさんの日本昔話が、このあたりの教訓を雄弁に物語っています。
欲望ではなく、感謝と笑顔をモットーに生きた正直じいさんは、「結果として」豊かになりました。
一方、欲望まみれの意地悪じいさんは、豊かになるどころか、常に不幸な結果になりました。昔話によっては虫やもぐらになってしまうケースすらあります。

欲望を強固に念じ続ける「引き寄せの法則」を実践する連中は、意地悪じいさんと何が違うのでしょうか。
本質的には全く同じです。


一方、感謝や思いやり(和魂や幸魂)という、人間の良心に沿った心の働きは、きっと霊的には振動数が高いのでしょう。「あらぶる神々」が近づきたくても近寄れません。
結果、妙な心の乱され方をしません。大切な良心を守れます。
そして、自らの善徳貯金によって豊かな人生を送れるようになる、現世で豊かでなくとも良い死後や良い来世が待っている、日本人の多くの先人たちは、そうした素朴な信仰を持ってきました。

【日本文化から量子論を補い、発展させられる?】
これまで見てきたように、日本人が大切にしてきた信仰と、
○ちはやふる
○あらぶる
を重ね合わせるのも一興でしょう。
また、量子論の欠けている面もうっすらと浮かび上がってくるように感じます。


日本の精神文化は奥が深く、難解な哲学体系である仏教を取り入れながら、その哲学を素朴な神道によって溶解させ、庶民が実践できる平易な生活法に消化していくという指向性を持っていました。

それは、我々の先人には奥深い知恵があったからに違いありません。

量子論が科学の新たな地平を切り開く中、日本の精神的な遺産から、これを補いつつ、さらに地平を開くことができるのではないかという気がします。






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