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zoom RSS 指導者教育の欠如のため、戦前の日本外交は失敗の連鎖。高等教育で史記などの漢籍を必修科目にすべき。

<<   作成日時 : 2018/03/22 21:21   >>

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【失敗の連鎖(シナ人の防衛本能を呼び覚ましてしまった)】
日露戦争以降、日本は、実に多くの外交的な失敗を重ねてきました。

これまで何度か紹介しましたが、戦前から、田中美知太郎や石橋湛山、戦後も猪木正道といった、左翼ではない良識的な人々が憤りを込めて力説するように、満洲における権益を後生大事にしたのが、日露戦争後、1945年の敗戦までの国策の失敗の根源です。

これは、日露戦争の終結時に外相だった小村寿太郎の失敗に始まります。
よく知られるように、米国のハリマン財閥が満鉄の共同経営を持ちかけ、総理である桂太郎が了解したのに、外相に過ぎない小村が反故にしてしまいました。
日本はロシアから賠償金を取れませんでしたから、ハリマン財閥に売りつければよかったのではないかと思います。

後述の石原莞爾と同様に、小村外相は天才的と言われていますが、有識者と言われる人々にはびこるこの絶望的に戦略眼なき感性こそ嘆かわしいのではないかと思います。

(注)陸奥宗光の弟子である小村氏は不平等条約の改正には貢献しました。これは正当に評価すべきでしょう。しかし、日露戦争の終結に係る交渉は、明治の元勲の慧眼ゆえの事前のお膳立てあってのことでした。詳しくは、チャンネルくららで倉山満氏が面白おかしく解説しておられます。


古来、シナ人は満蒙から攻め込まれて異民族支配を受けることが多かった民族です。特に清の支配を受けた当時のシナ人にとって満洲は鬼門です。したがって、満洲に強国がいる状態は、否が応でも、シナ人の防衛本能を呼び覚ますに十分です。

戦前戦後を通じて、なぜこの点に思いを致さないのでしょうか。「シナや左翼が主張しているから間違い」「侵略史観で言ってるから間違い」では、コップの中から出られません。

シナや左翼、侵略史観は、意図は悪辣で事実を平気で歪めますが、これらが歪曲であることが世の中に普及した今となっては、この時代に何が起こったのか、どう失敗したのか、そろそろ冷静に見るべきであろうと思います。


話を続けます。
満鉄権益だけでなく、日本は日露戦争で北京への匕首である遼東半島を獲得し、この要衝の地に、いわゆる関東軍(この時期は「関東都督府陸軍部」)を置きます。



十年ほど時は流れ、「第一次大戦」、更に「満洲事変」と、学習することなき人たちによって、その失敗の頻度は上がりました。

この時期の代表的な失敗は、遼東半島と並んでシナの喉元に匕首を突き付けられる位置にある山東半島の権益を獲得したことです。対華21ヶ条要求です。
当時からシナと割り合い仲の良かったドイツを駆逐して、既に満洲鉄道と遼東半島を押さえていた日本が、山東半島まで押さえました。

ここで生まれたシナ人の反日感情をソ連のコミンテルンに上手く利用されて、1919年、五四運動を起こされ、さらにシナ共産党の設立、国共合作の流れが生まれてしまいます。

易経は「機」を重んじます。兆しではなく、その前に生ずる何かです。「機」は、訓練された人が心の目で見るしかありません。
そして、兵法でも同じく「機」を重視します。

この時期の日本の指導層は、完全に「機」を無視していたとしか思えません。


ところで、「日中十五年戦争」という呼び方をする人々がいます。シナや左翼に多いゆえ、保守には人気のない呼称です。
しかし、外交も一種の戦争、謀略や工作も外交のうちだと考えれば、日露戦争以後を「日中四十年戦争」と呼び、陰の戦争(謀略)、陽の戦争がこの時期に続いたと捉えた方が、教訓を得られ易いと思います。
そう捉えることで、今も「陰の戦争」の状態であると認識しやすくなり、危機感を共有しやすくなると思います。

それを保守が率先して否定する理由は乏しく、「シナや左翼が言っているから」に過ぎないと思います。しかし、否定する弊害の方が大きいことに気づいてほしいと思います。


話を戻します。
以上の流れを文字で読んでもピンと来ないと思います。
地図で、満洲、遼東半島、山東半島を確認し、地図の上下を逆にして、北京との位置関係をシナ人の立場から考察することをお勧めします(藤井厳喜氏「最強兵器としての地政学」)。

当時、中華民国は南シナに比重があり、北京を押さえていませんでした。日本で言えば、官軍が東日本を押さえる戊辰戦争の前に、茨城と房総半島と三浦半島をフランスに押さえられたようなものです。

ここで防衛本能が目覚めなければ、シナ人は相当のバカか腑抜けです。しかし、謀略に塗り固められた長い歴史を持つシナ人は侮れません。


【得意の外交力を駆使して日本を追い込んだシナ】
事ここに至って、シナ人の防衛本能は目覚めてしまいました。
シナ人の得意とするのは謀略的な外交であり、不得手とするのは戦争です。彼らの得意とする謀略によって、その後の日本は追い込まれていくことになります。

第一次大戦あたりから、孫文は日本を信用しなくなり、ソ連との連携を模索することになりました。

それまで日本人のアジア主義者は孫文を巨額の資金その他で支援してきましたので、孫文の路線転換は、裏切りにも思えますし、そう解する人もいます。
しかし、孫文が日本政府の真意を列強と同じ侵略と見たと想像すれば、どちらがどちらを裏切ったのか、判断の難しいところです。


さらに、1931年には関東軍参謀に過ぎなかった石原莞爾の確信犯的な暴走で、満洲を実質的な支配下に置きました。石原莞爾が稀代の戦略家だと言う人がいますが、呆れて物も言えません。彼は「亡国のフタ」を開けた張本人です。

(注)彼は戦略家、軍人というよりもロマンティストであり、本来軍人であってはいけない人物でした。シナがなかなか近代化しないので、日本の力で大同社会を作ろうとしたらしいですが、いい迷惑です。

満洲、遼東半島、山東半島、さらに天津。。。

シナ人の防衛本能を呼び覚ます「失敗の連鎖」と言うべき状態でした。

節目の事件を拾えば、
●1905年の満鉄権益と遼東半島の獲得
●1915年の対華二十一か条要求
●1931年の満洲事変と翌年の満洲国建国
で、彼らを強く刺激し、防衛本能を呼び覚ましたことになります。

シナの歴史は、ずっと謀略の連続でした。権謀術数に長けた腹黒い人間しか権力を掌握できない国です。また、謀略の上手い人間が生き残るのですから、そういう遺伝子が濃縮されたのがシナ人と言うこともできます。

1930年代、シナ側は謀略を駆使して、アメリカにも食い込んで行きます(江崎道朗氏「コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾」)。
日本が作ったシナ情勢によって、日本は、シナそのもののみならず、ソ連とアメリカも潜在的な敵に回してしまいました。

シナ、ソ連、アメリカのどの一国と戦っても、他の二国が日本との戦争に雪崩れ込むという状況を作られてしまいます。

「戦わずして勝つ」は孫子の兵法ですが、その通りの状況を作られたのです。孫子の解説書を書くならば、ケーススタディとして真っ先に書くべき教材です。これを戦争と言わずして何と言うのでしょうか。

満洲事変で国際社会からの孤立を深めた日本は国際連盟を脱退したというのが定説です。しかしながら、満洲事変は、それまでの愚かしい流れの延長線上にあって、その流れを強調的に顕在化させた事件とも言えます。
つまり、先述の通り、日露戦争以後から、日本は自ら国際社会から孤立するような墓穴を掘っていただけです。「日中四十年戦争」です。

日露戦争の終戦処理で、小村外相が満洲に拘らずに、満洲鉄道をアメリカの財閥に売却していれば、シナとロシア(ソ連)、アメリカが相互に牽制し合う中、日本は有利な立場を構築できたでしょう。

少なくとも、総理の意向を覆すという越権行為がなくて、ハリマン財閥との共同経営にし、更に同盟国イギリスも巻き込んでいれば(注1)、アメリカを日本側に引きつけ、また、彼らのフラストレーション(注2)を溜めることもなかったでしょう。この場合も、英米と同じ陣営に立つわけですから、活路をいくつも見出せる状況になっていたと思います。

(注1)アメリカだけだと、イギリスが臍を曲げる可能性が高かったと思われます。

(注2)このフラストレーションが、やがて第一次大戦後のウィルソン時代、当時シナ全土への統治能力を欠いた中華民国の主権を国際社会が認めよ、という「九カ国条約」へと顕在化し、満洲でのシナ人の日本人への暴虐について、統治能力のない中華民国とどうせ守られない虚しい交渉をせざるを得なくなりました。これが満洲事変の遠因となります。


それに加え、第一次大戦中に、ドイツを追い出した山東半島の権益を要求しなければ、更に状況は違っていたことでしょう。当時の日本は、山東半島なんか要らなかったはずです。


【シナから日本への留学組を抗日へ追いやる愚かさ】
1915年頃はシナの未来を担う指導者の多くは、日本留学組など何らか日本の世話になった人たちで、日本の指導層と様々にパイプがありました(石平氏「なぜ中国はいつまでも近代国家になれないのか」、渡辺望氏「日本を翻弄した中国人、中国に翻弄された日本人」、江崎道朗氏の動画)。

しかし、せっかく「留学組」という財産を持ちながら、「抗日」で一致団結できる状況に陥ってしまったのが、残念でなりません。シナ人はなかなか団結できないのに、よりによって「抗日」が彼らのかすがいになったのです。
しかも、彼らは日本語ができるので、日本の情報は取り放題です。

本当に、この時代の指導者の愚かしさには憤りを覚えます。

シナを巡る情勢と日本の得失を大局的に見ることができる指導者がいれば、シナは、信用できない白人勢力を頼るのではなく、日本とのパイプを太くする道を選んだだろうと思います。

それはそれでお荷物ですが、少なくとも、彼らが得意の外交力を発揮して、ソ連とアメリカをそそのかす、という悪夢の状況は形成されなかったでしょう。

孫文も国共合作(1924年〜)へと踏み出すことはなかったと思います。
むしろ、シナの群雄は、ソ連が北満やモンゴルに居座り、沿海州を騙し取ったままであることを警戒したでしょう。
ソ連と組んで日本を追い込もうという発想自体、生まれてこなかったと思います。


これは自虐史観ではありません。
この当時の日本の指導層(特に軍人)が、戦略レベルでは相当愚かな判断を重ねたということを指摘しているだけです。
アメリカもロシア(ソ連)もシナも、自国の国益で動いていることを前提にして立論した時の当然の帰結を述べているだけです。

日本の本当の敵は、当時の「指導層の愚かさ」ではないかと思います。

戦後、この「指導層の愚かさ」という点が全く総括されず、単に「侵略が悪かった」という水戸黄門的な勧善懲悪の話に矮小化されてきたのが問題です。
勧善懲悪のストーリーは日本人に受け入れられ易いですが、真実ではありません。日本を含めたどの国もみな狂っていたのであり、この時代を覆った疑心暗鬼の狂気こそが、本当の悪です。

そして、この狂気の時代に、戦略眼の欠如した愚かな指導層が跋扈していたのが、日本の不幸です。

こうした狂気の時代は、70年代、そして現在と、40年周期くらいでやってきているようです。私が安倍総理を支持するのは、過去の愚かな舵取りを繰り返さない稀有の政治家だと思うからです。


自発的な総括がないゆえ、日本人は(安倍官邸を除き)戦略を理解できないまま、走り続けています。今でも。

(注)経済分野の成長戦略など、戦略ではなく戦術に過ぎないのではないかと思います。「リフレ政策の選択」「国際金融との協働」などのレベルが戦略なのではないかと思います。安倍政権は戦略眼があるので経済が好調です。こうした戦略を現世に展開するのは、戦術や作戦です。戦略と戦術を混同している人が戦後も多いのではないでしょうか。


未だに、日露戦争以降の時代(日中四十年戦争の時代)については、一部の研究を除いては、皮相的で浅薄な見方しかできていないのではないかと思います。
戦後は経済的に繁栄したから、「指導層の愚かさ」という欠点に目がいかないだけで、この欠点は致命的です。現に一度、国家が滅亡しました。


【「失敗の連鎖」の原因は、戦略眼と指導者教育の欠如】
半島情勢が緊迫化し、シナが膨張主義を取る中、どうして、この日露戦争の終戦処理の後の馬鹿げた「失敗の連鎖」が起こったのか、冷静に考えるべき時機ではないかと思います。

それは、端的に言えば、
●戦略的な視点から反省する人材の欠乏によるものではないでしょうか。

少しでも戦略眼があれば、どこかでヤバいと思ったはずです。。。当時のシナ人の反応を見ても知っても、何も気づかないという、ズレた視点が問題なのです。

当時もすぐに「それはシナ人が悪い」という善悪論になりました。それはそれで必要なプロセスだと思いますが、その悪いシナ人の謀略にしてやられたのではないでしょうか。子供じゃあるまいし、「アイツが悪い」で止まってはダメだろうと思います。

戦略を考える上では、「悪いアイツなら何を企むのか」が必須です。


別の見方をすれば、世の中が専門分化し、それぞれの専門分野の司を指導者教育を受けていない「受験エリート」が担い、大局的な見方をする人がごく僅かにしかいなかったことが、「失敗の連鎖」の原因ではないかと思います。

明治の元勲は、どの一人も東大タイプじゃなさそうです。かと言って、どこの大学のタイプでもありません。

私の知るところでは、戦前に、国益の立場から、戦略的・大局的に見ることができていたのは石橋湛山氏しかいません。あともうお一方、やんごとなき方がおられるのみです。やんごとなき家系は、日本で最も戦略眼をお持ちの家系ですから。。

(注)強いて言えば、もう一人、北一輝も戦略的に見ていましたが、彼が国益の立場から見ていたかは、甚だ疑問です。


こうした戦前の状況を猪木正道氏は、
「明治末から大正にかけて指導的地位についたものの中には、元勲におべっかをつかって出世をした二流、三流の人物も少くなかった。昭和に入ると、そういう二流、三流の人物に迎合した四流、五流の小人物がはばをきかせた場合が多いのであるから、大日本帝国が滅びたのも必ずしも不思議ではない。」
と表現しています(猪木正道氏「日本の運命を変えた7つの決断 」)。

そして、猪木正道氏は明治以後の教育に欠陥があったことを指摘しています。



この状態は、戦後変わったでしょうか。
残念ながら答は否です。全く変わってません。
(注)安倍総理は、戦後では極めて稀な存在です。でも、総理の立場でも、できることには限界があります。


【提言@(高等教育で漢籍を必修科目に)】
こうした状況を変えるために、私は、学校教育で、「史記」や「十八史略」を含めた漢籍を教えるべきだと思います。大学教育でも、必須の教養科目にすべきだと確信しています。

つまり、高等教育になればなるほど、「漢籍の素養」が必要になる仕組みを構築すべきだと思います。

日露戦争以降、日本が国策を失敗してきたのは、指導者教育がなかったからでした。
一方、それまで日本が奇跡を起こしたのは、江戸時代の指導者教育があったからでした。

ならば、まずは江戸時代の教育を真似るべきであろうと思います。難しく考えて時間が無駄に過ぎるよりも、単純に考えればいいのです。


また、日本の先人が、聖徳太子の時代から江戸時代までの殆どの時代において学んだことを学ばない理由が分かりません。これでは、先人の思考が想像できず、歴史と切り離されます。

故渡部昇一氏などは、現実のシナへの批判は舌鋒鋭かった一方、四書五経の教養をとても重視しておられました(渡部昇一氏「四書五経 一日一言」)。
西田幾多郎氏は、禅の探求で西洋哲学とは一線を画する京都学派を形成しました。彼は軍部や全体主義を軽蔑していました。最後の最後に軍部の汚いやり口で利用されますが。彼の同級生には禅を世界に紹介した鈴木大拙氏がいます。


さらに、世界におけるシナの存在感が大きくなる現代において、漢籍を必須の教養としないのは、教育界の思考停止、もっと言えば頭の悪さを物語っていると思います。
NHKが教養講座をしてくれるから、まだ良いものの。。。

本来、日本の知識人は、漢籍や仏典、禅、神道・国学の内容は知っているべきです。

近現代は、そうでない人があまりに多いです。大正以降の日本の教養層・指導層は、一体ナニ人なんでしょうか。歴史と切り離されている人が多いように思います。その究極の姿が戦前は軍部と共産主義者、戦後は日本を悪くしてきた全共闘世代や新左翼の人たちです。

むしろ、いわゆる庶民と言われる層の方が日本的です。神社に参拝し、仏壇に手を合わせるのが最も日本的な姿です。日本は敬神崇祖の国です。
また、先人の知恵は、ことわざや格言、四字熟語、昔話などの形で継承されました。


東洋の哲学を習得しない知識層が指導する日本は、果たしてアジアの盟主になれるんでしょうか。仮に盟主になっても文明史的には、皮相的な変化しかもたらさないのではないかと思います。

日本が「日本らしさ」を生かして世界に貢献するには、教育を変革する必要がありそうです。江戸時代の教育を捨てた日本は、日露戦争以降「日本らしさ」を失い、貪欲な列強諸国の一部に成り下がってしまいました。

指導層が列強だけから学ぶ中では、列強の劣化コピーの国家が生まれるだけで、「日本らしさ」が生かされることはあり得ません。日露戦争以降の日本を端的に言えば、そういうことになります。


夏目漱石は、西洋文明を取り入れないと日本は列強諸国に併呑されるけれども、日本古来の良きものも大切にしたいという葛藤を抱えていたと聞いたことがあります(たしか、チャンネルくららでの江崎道朗氏と倉山満氏の対談(?))。

今こそ、ポスト維新世代を代表するこの賢人の葛藤を思い出すべき時です。これを放置してきた結果が、国策の失敗の連鎖をもたらしたのであろうと思います。


教育は「国家百年の大計」です。明治人はこの大計を半ば誤りました。

(注)教育界にあるまじき破廉恥な前川喜平を事務方トップにまで出世させた某省には、考えも及ばぬことでしょう。


江戸時代の指導者教育を受けた明治の志士たちは、シナ古典を学んできたので、自然と、戦略的に考える思考回路ができていました。史記や十八史略を読み込んでいれば、自ずと戦略的な思考になります。

シナ人は、日本人とは正反対で戦略や外交が得意な民族です。この点は、日本人は敬意を払うべきだし、警戒もすべきでしょう。


戦後の我が国の漢籍教育は貧弱と言わざるを得ず、僅かに国語の授業で漢文の「読み方」を習うのと、高校で西洋哲学が中心の倫理の授業で、少し出てくる程度です。しかも、たしか倫理は選択科目ではなかったでしょうか。

しかし、江戸時代は指導者のみならず、どの寺子屋でも、少年少女の時期から「素読」といって、論語などの漢文を繰り返し繰り返し読んで心身に染み込ませる教育が行われていました。この力は計り知れません。人生の節目で、知恵深い漢文を思い出すのですから。


ちなみに、森友学園でやっていたのは素読の真似事で、素読ではありません。江戸時代は師匠自身が襟を正していましたが、籠池は違います。森友学園は、ネット動画で見ましたが、あれは洗脳教育で心底気持ち悪いです。北朝鮮やシナと同じ匂いがしました。

広島まほろば学習会というのもあるそうで、子供に暗唱させているのをネット動画で見ました。
見た感想は、「子供を見世物にするな!素読は記憶術じゃない!何を勘違いしているんだ、コイツ」と不快に思っていました。有名な若手ユーチューバーは「子供の記憶力がすごい」と感心していましたが、なんともずれた感想にガッカリしました。
この学習会をやっていた人物は薬物販売で逮捕されたそうです。さもありなん!

教育を商売にするのは下等人種です。
彼らにとって、素読は、親たちの気をひく新商品だったのでしょう。お金に良心を売った悪辣な連中です。教え子たちの心に与えた影響が本当に心配です。
こういう心なき下劣な連中のために、漢籍や素読自体が誤解されるのが怖いです。

素読で最も重要なのは、教える側の姿勢です。

記憶術じゃありません。暗唱テストは逆効果です。暗唱テストをするのは、素読の本当の効能を知らない証拠です。

賢哲の知恵の言葉を何十回、何百回も声に出して読むうちに心身に染み込ませるのです。意味は二の次ですが、知恵を得ようという姿勢で何度も声に出すうちに、「こういう意味かな?」と浮かびます。
それが正しいか否かは、何年、何十年経ってから、じわーっと分かるものです。

その際、師匠の生きる姿勢が触媒になります。弟子は師匠の生きる姿勢を何となく感じて覚えているものです。
師匠が弟子と一緒に知恵を探求する姿勢がないと素読は失敗します。教師がそれまでの人生経験で教えられることなどタカが知れてます。それよりも姿勢です。吉田松陰は、この姿勢が素晴らしかったのだろうと思います。弟子が共感して姿勢を正していきました。

師匠が弟子と一緒に素読を楽しんでいれば、知恵を得ることは楽しいものだという姿勢を教わる側は感じます。

知恵というのは、、、
三十歳になったら「自分はこれで立つ」という何かを持とうとか、四十歳になったら惑わないよう自己確立をしようとか。五十で天命を知ることができるよう懸命に生きようとか。
また、徳を大切にした生き方をすれば、目先の損得は別として誰かが見てくれている、目先はさて置いて徳のある生き方をしようとか。
人生で最も大切なのは技巧ではなく至誠だから、誠を尽くそう、そうすればいずれ道は開けるだろうとか。

本当の教育とは何十年後かに効果が発現するものです。すぐに効果が出れば、それに目を奪われて、本当に大事なこと(知恵)に目が行かなくなります。


問題は、今の教育界にこうした教育をできる人物がいるかですが。。。


【提言A(漢籍に併せ、本居宣長も教える)】
「漢籍はシナ人の哲学だからペテンだ」と思うのは早計ですし、漢籍を大切にしてきた先人を馬鹿にした論です。
実際そんなことを主張する保守の論客もいますが、渡部昇一氏がなぜ四書五経を大切にしたのかを考えてほしいと思います。

後述するように、少し知恵を働かせれば毒を薬にできるであろう方法もあります。それを放置するのは知恵のないやり方です。


シナのように「家族以外は騙してやろう」という悪人の多い風土で善人であることは、日本で善人でいることよりも、遥かに難しい事のはずです。
そんな風土で善を説いた孔孟などは、優れた知恵を持っていた尊敬すべき偉人だと思います。だからこそ、日本の先人たちも孔孟の言葉に共感したのだと思います。


「どうせペテン」には一理はあります。
漢籍に登場する理想化された聖人君子と現実のシナ人は切り離して見る目を養う必要はあるでしょう。

吉田松陰は、漢籍を重視しながらもシナを懐疑する目も養っており、孟子を教えつつも、孔孟のことを「忠義を説きながら、二君に仕えているではないか」と批判しています。
この視点は、北条氏長から山鹿素行(最初はシナかぶれで、後に反省)に受け継がれ、山鹿流を学んだ吉田松陰に影響を与えたようです。山鹿素行の思想は、漢意(からごころ)を離れた本居宣長と通じるところがありました。

それゆえ、吉田松陰はシナ古典と実際のシナ人をきちんと分けることができていました。


一方、西郷隆盛はシナ人に幻想を抱いてしまっていました。漢籍に出てくる「シナ人」と現実のシナ人の区別ができなかったのだと思います。

ただ、西郷隆盛を批判するのは酷で、当時の儒学者の多くは、現実のシナ人を知らずに、シナ人を理想のフィルターで見てしまう「シナかぶれ」でした。ドラマで描かれるコリアンを実在すると勘違いしている韓流フリークのおばさんに似ている面があります。

極端な儒者は、自国のことを東夷と呼び、シナに生まれなかったことを嘆く者がいるくらいです。。ここまで来ると、今の反日日本人の源流を見る思いです。


国学の大成者である本居宣長は、「シナかぶれ」の愚かさを見抜き、
●シナで天下を取った尭・舜・禹などの伝説的な聖人君子は、みんな実は腹黒い、
●彼らは、諸侯を手なづけて、王位を簒奪するために有徳を装った大詐欺師
●日本の天皇は、天照大神から続く万世一系の家系。それは、天皇に、神代から連綿と続く本当の徳があるから。
と深く洞察し、漢意(からごころ)に毒されることに警告を発しています。

ここで重要なのは、
●シナ文明に毒されないように注意すること
●特異な文明を継承する日本人としての自覚と誇りを持つこと
です。本居宣長の書を虚心に読めば、自然と、この感覚は身につきます。


シナの古典には、
●「戦略眼」や「指導者の自覚」を養う効能がある反面で、
●「シナかぶれ」という毒があります。

このため、
●シナ古典を教える際には、本居宣長の「玉くしげ」などを併せて教え、解毒すること
もまた肝要だろうと思います。

でなければ、江戸時代の儒者と同じく「シナかぶれ」に陥ってしまいます。


【まとめ】

●日露戦争以降、日本の国策は失敗の連鎖。
●失敗の主因は指導層が愚かだったこと。
●それは、戦略眼を養うような指導者教育が欠如していたため。
●この状況は現代も全く変わっておらず、同じ失敗を繰り返す可能性。

●明治の元勲は江戸時代の漢籍の教育を受けた。
●指導者を育てるため、現代の高等教育に史記などの漢籍を取り入れるべき。
●ただし、併せて本居宣長の書も学び、シナかぶれを解毒すべき。


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