アイヌ新法制定!(エスニック政策の転換と日本の成熟・発展、さらに縄文再発見)

【アイヌ新法の何が悪いのか分からない】

小中学生の頃からアイヌに惹かれる人間としては、アイヌの誇りを取り戻すことを目的にアイヌ新法の制定は、とても楽しみですし、喜ばしいことだと思います。

日本の近代以降のエスニック政策の転換点であり、うまくいけば大和民族も「共生」(注)の精神文化を取り戻し、息苦しい均質化から脱却するきっかけになり得る可能性を秘めた法律だと思います。

(注)小沢一郎氏の言う「共生」ではなく、かつての大和民族の文化的特徴だった「共生」です。


しかし、アイヌ新法が国益を害すると騒いでいる戦後保守が一部います。

後述するように、新法反対論者の主張には、ネイションとエスニックの区別のなさや、共産主義的な軍部が推進した「同化政策」の匂い、さらには縄文とアイヌの関連性の無視など、浅薄で危険な香りが漂うのは気のせいでしょうか。

(注)ここで「戦後保守」としているのは、戦後、左翼ばかりを見ていた保守論客のことです。最近のネットで活躍している若手の保守は、左翼の主張は無茶苦茶なのであまり注視せず、リアリズム重視で国際情勢に敏感なので、「新保守」と呼んで、「戦後保守」とは区別したいと考えています。https://s.webry.info/sp/66575033.at.webry.info/201901/article_1.html


民族主義は過度になると、排他的・攻撃的になり、因果応報で自らを打つ杖となり、国を滅ぼしてしまうと思います。

隣国を見れば、排他的な民族主義で暴走することがいかに滅亡への近道になるか、分かります。
https://s.webry.info/sp/66575033.at.webry.info/201902/article_4.html


日本の精神文化では、寛容と感謝を大切にし、他者への闇雲な悪口は下品なものとして控えてきました。

(注)「悪口」は良くないですが、静かな侵略など他国からの陰に陽に行われる攻撃への「警戒」と「警鐘」、相手に応じて国益を守るために強く主張することは必要です。


「保守」とは、伝統的な精神の在り方を大切にして変化に対応するもの(不易流行)だとすれば、「戦後保守」は「保守」と呼ぶに相応しいか疑問です。「何でも批判の左翼」と一対を為すものかも知れません。

同化政策は極端です。
「中庸」が日本らしい保守の在り方だろうと思います。


新法反対者は、アイヌに独立されたり自治州化すると、国がバラバラになると主張しますが、

アイヌ人口は、たったの20万人です。そのうち何%が、今の生活を捨てて自治州に参加するのでしょう??

エスノセントリズムが起こりようのない人口です。杞憂に過ぎません。(同じエスニックでも、琉球の場合はシナや北朝鮮の動きに要警戒です。)

また、彼らは、同和事業の類推か、交付金泥棒が出ると心配しています。しかし、交付金でアイヌ文化が復活するという価値も生まれることを無視しています。
交付金審査を適切に管理すればいいのではないかと思うのですが。。。

アイヌを差別視しているように思えてなりません。

だとすれば、日本人の一部にそういう意識がある限り、逆に、アイヌの誇りを取り戻す目的の『アイヌ新法』は必要だろうと思います。

彼らの着物や器の文様・装飾の美しさ・気品、本来のアイヌの気高さ、自然への敬愛の念の深さ、神話の豊かさ。アイヌは、どれを取っても尊敬に値するエスニックです。
現代の日本人が忘れたものがアイヌ文化にはあると思います。

私は小学生か中学生の頃から、縄文やアイヌに惹かれていました。たしかアイヌの神話集(ユーカラ)を読んだことがきっかけだったと思います。
でも、その誇り高い文化が殆ど失われ、探してもあまり情報がないのが残念でなりませんでした。

最近になって、アニメの「ゴールデンカムイ」が流行ったおかげか、
雑誌や著作物も格段に増え、動画でもアイヌの神話をアイヌ語で紹介してくれるコンテンツも現れ、嬉しい限りです。
調べるほどに大和民族との共通点の濃い少数民族(エスニック)です。縄文人や弥生人、上古人の精神文化を解明する鍵がアイヌにはあると直感します。

そもそもある民族の先祖伝来の文化が消え去ることを「戦後保守」はどう考えているのでしょうか。
大和民族の文化が消えるのを恐れるなら、アイヌの人たちにも文化を取り戻す道を開くのは当然のことではないかと思います。

大和民族の優越性しか認めない排外的で底の浅い「愛国心」は、本当の意味での愛国心ではないと思います。

自分の民族に誇りを持つことと、他を認めないことは同じではないし、警戒することと排外的になることも同じではないと思います。

国を愛するのは自然の情ですが、正しく国を愛してほしいです。まるで、我が子以外を否定するかのような愛は、間違った愛ではないでしょうか。
そんな愛では、我が子がいじめにあってしまうのではないかと心配します。

この点、既に世界4位の移民大国なのに、「人間」である移民へのヘイトしかしないメンタリティと全く同じです。
https://s.webry.info/sp/66575033.at.webry.info/201812/article_3.html

今の時代、駄々っ子のように「移民反対」を叫ぶだけでは、移民に関する様々なルールづくりが遅れ、問題解決から遠ざかるだけです。

なお、移民や在日といった外国籍の人間は、その国の国民ではありませんからエスニックとは違う立場であり、
ルールに違反すれば本国への強制退去を含めた措置をとるのが妥当であり、エスニックとは扱いは変えるべきです。


【世界中の殆どの国は、国内にエスニックを抱えている】

世界中の殆どの国々は、少数民族(エスニック)を抱えています。

欧州諸国は多くのエスニックがいます。
アメリカもネイティブ・アメリカンやエスキモーというエスニックがいます。
インドに至っては、何百もの言語があり、エスニックだらけです。
そういう中で知恵を出して折り合いをつけながら国家を成り立たせているのが、先進国を含めた世界の現実です。

日本のように、ほぼ単一民族の国家(99%が大和民族)は稀です。

新法反対者は、もしかすると、「ネイション(主要民族)」と「エスニック(少数民族)」の区別が付いていない可能性があります。

アイヌを「民族」と認めると国家が崩壊すると勘違いしているのかも知れませんが、
これは、「民族」にはネイションという概念しかないという勘違いから生まれていると推察されます。

アイヌ=民族=ネイション=分離独立=アイヌ新国家という類推が働いているのではないでしょうか。。

アイヌを少数民族(エスニック)と認めることに何の問題があるのでしょうか。

エスキモーをエスニックと認めたことでアメリカが分裂したのでしょうか。アボリジニとオーストラリア、マオリとニュージーランドも同じです。どこも分裂などしていません。

EU域内で、エスニック(バスクやスコットランド)の分離独立運動が起こっているのは、EUがあるから独立してもやっていけるからで、他の地域のエスニックをこれと同列に考えてはいけないでしょう。
それに、欧州には小国が多いですから、エスニックの独立は現実的な選択肢として意識される土壌があります。

また、イラク、トルコ、シリアにまたがるクルド人の独立運動は、第一次大戦後に英仏が勝手に引いた国境線でクルド人が分断されたからで、
朝鮮半島の南北統一論との比較で論ずべきだろうと思います。

先進国に属しているエスニックは、メリットがありますから、そう簡単には独立しないと思います。


ちなみに、民族の視点から「天皇制」について付言すると、
日本は国の在り方(国体)として、
主要民族(ネイション)である大和民族の「天皇制」を採用し、
日本国に属する少数民族(エスニック)もこの国体を受容してもらうということです。

この点は、ネイションたる大和民族としては決して譲れないところです。

ネイションとエスニックの力学に由来するこうしたことは、世界各国でよくあることですし、それは当然のことだろうと思います。

現代は、天皇とエスニックの新たな歴史が築かれている途上という整理ができると思います。

この点、今上陛下が沖縄県民(琉球エスニック)に配慮しておられるのは、深慮と思います。

春日大社の葉室頼昭 元宮司によれば、日本は上古の統一国家形成期(古墳時代初期)において、あまり戦争の痕跡がなく、天皇が様々な部族の祭祀をまとめて行うという共生の智慧を働かせました。

葉室氏は、奈良で、人間は人間として、鹿は鹿として当たり前のように共生していることを「共生」の実例として分かりやすく説明しています。
共生は、同化とは全く違う概念です。

戦前からの同調圧、同化、均質化は、本来の日本の「共生」とは真逆です。鹿に人間になれと求めるようなものです。

江戸の落語で出てくるはっつぁんらは間抜けなキャラですが、そのまま愛すべきキャラとして認められています。江戸時代までは「共生」は、日本社会に息づいていました。

ひょっとこも障害者だという説があります。人間の良い面、生かせる面を見ようという文化です。

江戸時代の日本を訪れた外国人は、
日本ではみんな笑顔だ、特に日本の子供は宝物として社会から大切にされ、おそらく世界で一番幸せな子供たちだろう、
と書いています。

子供の頃から追いまくられる息苦しい現代社会とは全く違う社会だったようで、それは日本人が近代化の過程で大切な「何か」を忘れたことを示唆しています。

その「何か」はいろいろあるのでしょうが、「共生」も、そのうちの重要な鍵の一つだろうと思います。


今上陛下の沖縄への数々のご配慮は、こうした「共生」の文脈でこそ理解できると思います。

(注)小沢一郎氏の唱える「共生」は、半島系弁護士の「人権」に似て要注意です。

こうしたことをつらつら考えるに、
「新法反対派は目くじら立てんと、落語でも聞いてみたら?」と思います。


彼らの主張を要約すると、「エスニックのアイヌは先祖伝来の文化を捨てて、ネイションの大和民族の文化に従え」ということだろうと思います。
これでは、民族浄化(エスノ クレンジング)を批難できないですね。

彼らには、チャンネルくららの動画で倉山満氏の「国民国家論」をじっくりと見ることを勧めたいです。ネイションとエスニックの違いを分かりやすく?説明しています。

彼らは「アメリカは、ネイティブ・アメリカンを侵略した」と言いますが、
明治以降の北海道で起こったのは、白人がやったのと似た現象ではなかったのでしょうか。

明治以降の北海道開拓は、ロシアの南下に対抗するため、急いで北海道を開拓することが優先され、『先住民族』であるアイヌの誇りを踏みにじることへの良心の呵責を黙殺してきた面があるでしょう。

それまでのアイヌは、広大な大地を生活フィールドとしてきましたが、
北海道開拓によって生活圏を奪われ、狩猟採集など先祖伝来の生活ができなくなり、生活と密着した文化を継承するのが著しく困難になりました。

なお、「戦後保守」は、アイヌが『先住民族』であることすら否定します。
その論拠として、先住民族とは「白人の侵略」に由来するものと勝手に定義していますが、ここまでくると、もはやイデオロギーです。

その定義でいけば、シナの「同化政策」の犠牲になっている満洲人やウイグル人、チベット人を『先住民族』とする余地は皆無になります。

アイヌはアイヌのままで輝ける日本社会を創ることは、現代日本人が忘れていた「共生の智慧」を思い出す、とてもいい訓練になると思います。

それは琉球に関しても同じことが言えるのかも知れません。
琉球の誇りを持って輝ける日本社会という回り道をしてこそ、
沖縄県民は日本人であることに心底誇りを持てるようになる(愛国心を持てる)ようになるのかも知れません。

この点は、「アイヌの次は琉球」と、琉球独立とレッドチームへの編入を目論んでいるだろうシナや北朝鮮の動きに警戒する必要がありますが。。今はさすがに時期尚早か。。

ただ、沖縄県が2015年に実施した世論調査(平成27年度 地域安全保障に関する県民意識調査)では、
諸外国への親近感について、
米国:○55.5%、×42.2%
中国:○10.3%、×88.1%
韓国:○22.0%、×76.4%
と、シナに親しみを感じない人が実に9割に上っていることは重要です。(2014年調査でも同様の結果です。)


【日本国のエスニックへの向き合い方次第では、世界で日本警戒論も、、、】

世界各国が自国内のエスニックと向き合って国家運営をしている中で、

日本国内のエスニックを無視して、大多数の大和民族の存在・生活圏・文化しか認めないという、モノカルチャー主義の完全同化スタンスだと、

日本がアジアの「地域大国」になることへの他国からの警戒感が湧き上がるのではないでしょうか。

なぜなら、「日本という国は単一民族の文化しか認めない」「そのような日本が地域覇権を取れば息苦しい世界になる」というメッセージを発信することになるからです。

結果、新たな「日本封じ込め」に至る危険性があります。

アイヌ新法に反対している人たちは、自分たちの主張がいかにシナのやっていることに酷似しているか、胸に手を当ててよく考えた方がいいと思います。

==============================
脱線します。
最近思うのですが、ソ連は連邦内の諸民族(ウクライナ、ポーランド、バルト三国等)に同化政策を取りましたが、

その結果、ソ連崩壊後は、
こうした諸民族からは徹底して嫌われ警戒され、ロシア圏は縮小したばかりか、
これらの国々は西欧(EU、NATO)との経済的・軍事的な結びつきを強化し、

ロシアは反露勢力に包囲されました。

同化政策は、長い目で見れば、自らを窮地に追い込むということを示唆しています。

この点、日本も1930年代後半からの軍国時代(準共産国家)に行われた皇民化政策と呼ばれる同化政策は行き過ぎで、
コリアの「反日」の3割くらいは皇民化への反発に由来しているように思います(7割はコリアの小中華思想と戦後の国際事情に由来していますが。)。

つまり、「同化政策」は、同化される側の反感や憎悪に由来する将来の反動を背負いこんでいます。同化が進むほど文化を奪われた者からの憎しみが増します。

今のシナの共産党政府がウイグルやチベットにしている同化政策を批判しながら、
その同じ口で「アイヌの誇り」を圧殺する言論を吐く神経が、私には全く理解できません。
完全に論理破綻しています。

行き過ぎた民族主義の好例だと思いますし、
軍国主義者(準共産主義者)の持っていた発想と驚くほど似ています。

==============================
さらに脱線します。
彼ら「戦後保守」は、戦前を賛美したり擁護しますから、軍国主義者の発想に似通ってくるのでしょう。

しかし、それは共産主義者(統制主義者、設計主義者)と同じ発想であることに、そろそろ気づいてほしいと思います。

軍国主義者は左翼です。

戦前を賛美する戦後保守も、その本質は左翼と変わらないです。

日本を長期戦争に誘導して、アジア太平洋で大量の死者と不幸を生んだコミンテルン(ソ連、中共)、ルーズベルト政権、軍国主義者は、どれもこれも悪いのです。

ルーズベルトだけが悪いとか、スターリンだけが悪いのではなく、日本の軍部も充分悪かったのです。

戦後、アジア諸国が独立したのは、現場の日本兵(=大半は数年前まで庶民)が立派だったからで、
日本の軍国主義者(=受験エリート)が立派だったのではありません。

この点、混同・倒錯している「戦後保守」が多いです。

繰り返しになりますが、同化政策は抑圧的な共産主義者の発想です。

==============================

話を戻します。
「日本は単一民族の文化しか認めない」と国際社会から認識されるのは、よろしくないことです。

日本は、「反日」を民族主義の根幹に置くシナやコリアとの対立は避けられませんから、

日本が国際社会で「他民族に狭量だ」というレッテルを貼られず、逆に「日本は寛容だけど、シナやコリアはなんかおかしいね」と国際世論を誘導するには、
自国内のエスニックを大切にするのは必須です。

それは、日本の国際的信用を高める「ソフトパワー」となり、安全保障につながります。

そういう観点で見た時、『アイヌ新法』はとても大きな意義を持ってくるはずです。
国を憂いているポーズがかっこいいと勘違いしている一部の戦後保守にはそれが分からないのでしょう。


【日本文明の一形態としてのアイヌ文化】

戦後保守全般に言えることですが、シナ文明や欧米文明とは異なる独自の「日本文明」の存在にまでは辿り着いていても、
その「淵源」への洞察が浅すぎます。

彼らには、なぜ梅原猛氏が一時期、アイヌを研究していたのか想像もできないでしょう。

アイヌは太古の縄文文明の継承者です。

アイヌ文化には、太古日本の精神文化が濃厚に残っています。アイヌ文化は、それが生きている限り、太古の精神文化を生き生きと解明するよすがになり得るものです。

縄文文明の中心は青森でした。縄文時代、ダントツで人口が多かった三内丸山も、精巧で芸術的な土器を作った亀ヶ岡も青森です。

青森は「縄文の京」です。その縄文の京に最も近いのが北海道アイヌです。アイヌは、縄文文明の正統な継承者と言うべきでしょう。

このため、アイヌは大和民族や琉球民族(エスニック)との共通点が多いです。

Y染色体のDグループが、アイヌは8割、琉球が6割、大和が4割で、いずれもそれぞれの民族集団の中では最大グループです。縄文から連綿と続く遺伝子と考えるのが自然です。共通点があるのは至極当たり前です。

一方、シナやコリアにはこのDグループは皆無です。やはり異民族です(琉球がシナの一部だというのは誤謬も甚だしい暴論です。)。

(注)他にDグループがいるのはチベット人で、Dに近いEグループがいるのがユダヤ人やアラブ人です。

縄文文明が、アイヌ、大和、琉球のそれぞれの文化に発展したというのが正しかろうと思います。

その証拠に、大和、アイヌ、琉球では、敬神崇祖の「感謝」の文化、先祖が近くにいるという「他界観」など根幹的な部分が同じです。

そもそもシナやコリアには「敬神」はなく、神への信仰とはシナ道教の現世利益の偶像崇拝です。アイヌ、大和、琉球の「敬神」は、偶像崇拝ではありません。

先祖供養にしても、シナやコリアでは、「先祖」は遥かに遠い他界にいるので年一回です。つまり、同じ先祖供養でも、縄文系のアイヌ、大和、琉球とは全く違います。


具体的に大和とアイヌの共通点を言えば、

・大和では竈神を大切にしましたが、アイヌでも囲炉裏に火を灯して初めて家に命が宿るとされ、囲炉裏に火の神を祀っています。
ちなみに、縄文も引っ越しても炉石だけはそのまま運びました。

・神社の神事に欠かせない幣の原型は、アイヌのイナウ(木の皮を割いて幣状にしたもの)だと梅原氏が喝破しています。大和でも、紙が伝来する前は木の皮を割いていたはずです。

・伊勢遷宮の際には木曽で木を切り出す前に神に感謝します。それと同じく、熊を仕留めた時にまず神様に捧げ、感謝します(イオマンテ)。
人間が使用する前に、まずは神に感謝を捧げるという根幹が同一です。

・大和では仏壇がありますが、これは日常的に先祖と接する装置です。それだけ近くに先祖がいるという他界観です。アイヌも人が住む集落のすぐそばに先祖が住む集落があるとされています。

これらのうち幣を除く全てが琉球にも残っています。縄文由来と考えるのが自然です。

大和民族とは、縄文人と水田稲作を発明した長江文明人(今のシナ人に追い出された人々)の混血であろうと考えられます。

脱線ですが、日本の農村集落で縄文の痕跡を探すならば「里山」だろうと思います。
弥生時代に取り入れた水田稲作は自然を均質化改造するものですが、
日本各地の集落に存在する「里山」は、管理しながらも多様なままに自然を残し恵みを頂くという点、縄文的です。
https://s.webry.info/sp/66575033.at.webry.info/201806/article_9.html


話を戻します。
縄文の感性豊かな精神文化を見直すには、生きたアイヌ文化の研究が不可欠です。

百田尚樹氏同様、この「戦後保守」と呼ぶべき極右というか劣化保守は、日本(大和、アイヌ、琉球)の源流である縄文をあまりにも蔑ろにし過ぎです。
(百田尚樹氏に関しては、先述のhttps://s.webry.info/sp/66575033.at.webry.info/201901/article_1.htmlをご参照ください。)

国際的な日本の立ち位置をリアリスティックに考えて、日本が「地域大国」として成功・発展するためにも、
日本文明の根幹を取り戻すために縄文の精神性を探るためにも、

絶滅寸前のアイヌ文化を(不十分ながらも)保存する『アイヌ新法』は、積極的に制定すべきだと思います。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック