自由と民主主義が分からない文政権と「586世代」

彼らにとっては、自由や民主主義は、己の身を守り政権奪取の「手段」に過ぎません。

本当に自由と民主主義を大切に思っているのであれば、
その根幹は、国民一人一人の自由であり、幸福追求権であるはずです。

それが民族に敷衍した場合も、北朝鮮に生きる一般の人々の幸福追求権を実現させることが最も重要なことであり、

そうであれば、独裁体制を打倒させることこそが正しい選択で、

間違っても、独裁政権の延命という選択肢はあり得ない選択です。

この辺りが、「586世代」の根本的に間違っているところであり、

彼らは、抗日パルチザンだった(とされる)白頭血統、つまり歴代の血塗られた金体制こそが正統性(レジティマシー)を有すると考えているのです。

つまり、自由と民主主義、その根底にあるべき国民の「幸福追求権」よりも、抗日パルチザン に正統性の淵源を見ているのです。

北朝鮮には「幸福追求権」は皆無ですから、
「586世代」と呼ばれる左派民族主義者たちは、「幸福追求権には殆ど価値が無い」と宣言しているのと同じです。

かつて、日本政府は韓国を説明するのに「基本的価値を共有」としてきましたが、既にこの表現を削除しています。全く正しいと思います。

日本は、「自由と民主主義」、そして、その根底にある「幸福追求権」を価値の根底に置いた国家ですから、
こうした価値を鴻毛の如く軽いものとしてしか扱わない韓国とは、基本的価値は共有しないばかりか、対立していると言うべきでしょう。

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