騎馬民族征服王朝説と戦後日本の闇

【江上波夫の騎馬民族征服王朝説の誤り】

日本や天皇家の成立に関し、東大の江上波夫が唱えた騎馬民族征服王朝説というバカバカしい説があります。

騎馬民族が朝鮮半島から日本に渡来して日本を征服し、天皇家になったという学説です。

学問の世界ですから、真理の探究のために仮説を唱えるのは否定しませんが、あまりに詰まっていない仮説の割に一世を風靡したので、少しだけ言及したいと思います。この妄説が一世を風靡したというのは、最後に述べるように、終戦直後のあだ花のような現象です。


人間、そうそう死生観は変わらないもので、墓制は死生観を背景にしています。

統一期の日本列島に一気に広がったのが前方後円墳です。これは、畿内で小規模のものから自生的に始まり、やがて大規模化していくことが分かっています。騎馬民族説なら、朝鮮半島、九州、瀬戸内海を経て畿内に伝播した痕跡がなければおかしいですが、そんな痕跡は皆無です。

日本より遅れた時代のものとして、しかも小さいものが朝鮮半島の南部で見つかっている程度です。

当時、北の大国、高句麗は積石墓でしたが、これは日本では北陸から信州にかけては存在するものの、かなりマイナーな存在です。
ただし、高句麗は半農半牧のツングースですから、騎馬民族とは違います。

モンゴルの場合、大昔は草原に埋めて大きめの石を置くだけの極めて簡単なものです。とてもじゃないですが、前方後円墳にまで発達するとは思えません。匈奴もモンゴルと同系ですから、似たようなものだと考えられます。

つまり、騎馬民族との死生観の連続を物語るような墳墓が殆どないのです。

そもそも建造に長期間を要し、高度な土木技術が必要となる巨大墓というのは、シナと言い、エジプトと言い、定住前提、かつ農地や灌漑の関係で土木技術を発達させた農耕民族のものじゃないのでしょうか。
それに大地にモニュメントを残そうという発想自体が、大地を日常的に加工している農耕民族の発想ではないかと思います。(北方民族も、たまに岩をくり抜いて大仏を彫ることはありますが。)


この一点をとっても、いかにも騎馬民族説はいかがわしいです。

また、騎馬民族であれば、馬に関する様々な語彙が必ずあるはずですが、日本語では馬を指す語彙は「ウマ」だけです。この点からも学問の世界で取り上げるだけの価値は皆無だと思います。

さらに、動物を去勢するという風習が日本にはありませんでした。騎馬民族が主流になったのであれば、まず考えられないことです。

諸々の反証があり、既に学会では否定されたに等しい状態です。


【未だに妄説を主張する飛○昭雄】

しかしながら、驚いたことに、まだこの妄説を唱える人物がいます。
それは、上古史の謎について様々ないかがわしい説を、まるで見てきたかのように唱えている飛○昭雄という人物です。

彼が主に書いているのが雑誌「ムー」系の書籍であるという点からして、知っている人には大変臭う人物です。


【オカルトブームの背後】

「ムー」はオウムの教祖や信者の愛読雑誌でしたし、その創刊には、学生運動に挫折して「霊的ボルシェビキ運動」なるものを目指した人物(偽史出版社の創業者)が色濃く関わっています。
その背後には、天皇制を換骨奪胎しようとする意図を感じます。ボルシェビキとは、ロシア革命を主導したグループであり、コミンテルンの中核です。

つまり、「ムー」や偽史出版社、「オウム」というオカルト主義者は、「31年テーゼ」で日本の共産主義者に天皇制廃止を命じた「コミンテルン」の特殊形態と捉えるべきものです。オウムが内乱を起こしたのも、こうした背景で見るべきで、北朝鮮労働党、中共、日共、オウムは同根です。

したがって、「ムー」や偽史出版社の垂れ流す偽史の根底が、コミンテルンの常套手段である「歴史歪曲」であるのは、当然と言えば当然のことです。

このあたり、「日本史が危ない! 偽史『東日流外三郡史』の正体」(全貌社)の原田実氏の文章が示唆的です。興味のある方は同書をお読みください。ムー、偽史出版社、オウムの関係や「霊的ボルシェビキ」について、かつて内側にいた貴重な情報によって暴露しています。

偽史だけでなく、気持ち悪いスピ系の情報をわんさか載せています。少し精神的なものに興味のある人は多いと思いますが、スピ系は罠だと考えて間違いないと思います。やっている人は、大抵、人相が悪いです。

なお、ムーと関わる人が皆おかしいというつもりはありません。日本の歴史系の学会があまりに二流なので、普通の書店では出せず、ムーのようなトンデモ説を好む雑誌でしか拾ってもらえない人もいると思います。

また、トンデモ説を否定しているわけでもありません。学会があまりに頭が固いので、トンデモ説には、定説とは別の視点を提供してくれるという効用があります。1割~2割の真実が含まれている場合があると思います。良識で判断していくしかありません。

例えば、縄文人は滅びずに水田稲作を学び、現代まで遺伝子をつないできたというのは、教科書的な定説から見ればトンデモ説ですが、科学的な知見の蓄積でもはや疑いようのない事実と認定されるべきにまで至っています。また、弥生時代が紀元前一千年頃に始まったというのも、縄文人が農耕をしていたというのも同様です。


さらに、謎を知りたい、解明したいという欲求は、知的好奇心という人間らしい欲求です。これをなくすと、人類は進化しなくなります。
それに、実際、謎はあるものです。
なぜ海底に遺跡があるのかとか、日本にもピラミッドらしいものがあるとか。それは学校で習った知識では説明できないだけで、事実として存在します。

区別が難しいのですが、これらの謎を説明するときに、禍々しい説明(オカルト)と良識的と響く説明があります。
太古であろうが、現代であろうが、禍々しいものは魔であり、滅びます。良識的なもの(感謝、思いやり、工夫)のみが生き残ります。「太古からの特殊な知識」といった秘教的な響きは、魔界への入り口であることに注意する必要があるでしょう。


【再び飛○昭雄のトンデモ説】

話を戻します。
飛○昭雄によれば、神武天皇と崇神天皇はいずれも「ハツクニシラス スメラミコト」なので同一人物らしく、さらに、崇神天皇と応神天皇も同一人物だそうです。だから、日本の初代天皇は応神天皇であり、応神天皇は大陸と交流があったので騎馬民族だとか。。。
あまりにバカげているので、流し読みしかしていませんが、たしかそんな内容だったと思います。


【崇神天皇と応神天皇は別人】

最近のブログ記事でも書きましたが、崇神天皇、垂仁天皇、景行天皇の三代は、国津神を祀られる、伊勢遷宮を行われる、白山信仰を取り込まれる、前方後円墳を広められる、などの祭祀改革に取り組まれ、最高神官としての天皇の形を創り上げた偉大な天皇です。さらに、天津神の祭祀と国津神の祭祀の融合もなさいました。
だからこそ、崇神天皇の御名は「ハツクニシラス スメラミコト」だったのだと考えられます。

この基礎の上に、神功皇后、応神天皇からの大陸情勢への介入が可能になります。
それは、主として強大な高句麗の南下を食い止めるためであり、洛東江の鉄資源を確保するためでもありました。新羅や百済が泣きついてきたからでもあります。
これは、日本の記紀、高句麗の広開土王碑、シナの史書を読めば導き出せる歴史的な事実です。

したがって、崇神天皇と応神天皇が同一人物であるはずがありません。満洲南部から朝鮮半島の大半を征服していた高句麗と戦うには日本にも強大な軍事力が必要ですが、いつ日本は統一したのでしょうか。神功皇后よりも以前でなければ、おかしいです。
崇神天皇から景行天皇に至る統一事業があってこそ、高句麗と戦うだけの軍事力を獲得することが可能だったと考えるのが自然です。


【神武天皇と崇神天皇は別人】

次に、神武天皇の御事績は、先の九州(日向)から瀬戸内海の沿岸を勢力圏におさめながら、畿内入りされたというもので、崇神天皇の御事績とは全く異なります。
崇神天皇も軍事力を用いておられますが、それは、畿内から放射状に外に向かうベクトルです。神武天皇は九州から畿内に向かうベクトルです。全く違います。

弥生時代には、九州を中心とした銅剣勢力と畿内(又は出雲)を中心とした銅鐸勢力は別個に存在していました。その後、統一され、銅鐸はやがて消滅するわけですから、九州勢が畿内に進出したと考えるのが自然であり、これは神武天皇の伝承と一致します。
さらに、記紀に記された神武天皇の東征伝承と符合するように、各地に神武天皇の伝承が残っていますから、神武天皇は実在され、かつ伝承通り、東征されたと考えるのが良識というものです。

そもそも戦後の歴史学者が主張するようにフィクションだったなら、なぜ、ナガスネ彦に阻まれて兄のイツセヒコ尊が落命したとか、熊野から迂回されて大和盆地に入られたといった、神武天皇の権威を落とすような伝承を入れる必要があったのでしょうか。
史実だったからこそ入れる必要があったという以外に説明は不可能です。


時代が下って、前方後円墳が畿内から放射状に日本列島に広がりますから、これは崇神天皇以降の伝承とも一致します。

むしろ、神武天皇=崇神天皇とすると、上記の考古学上の変化を説明できないだろうと思います。飛○昭雄のトンデモ説は、あまりにもくだらないというほかありません。


【ハツクニシラス スメラミコト】

神武天皇も「ハツクニシラス スメラミコト」ですが、漢字では「始馭天下之天皇」と書き、崇神天皇の「御肇國天皇」とは明確に区別しています。

「馭」とは制するという意味で、天下を制されたということです。九州から瀬戸内海沿岸を押さえながら畿内に進出され、当時の水田稲作の拠点を押さえられた御事績と整合します。

また、崇神天皇の方の「肇」とは始めるという意味で、その後に「國」が来ていますから、「国土」に重きを置いています。これは「国土」と関わりの深い「国津神」の祭祀を重視された御事績と符合します。

神武天皇は天津神中心(天孫降臨の完成)であられたのに対し、それでは国津神を祀る氏族が治らなくなってきた(倭国大乱)ので、崇神天皇が「國」を重視され、天神地祇の祭祀を融合なさったという、我が国の奥深い霊的な歴史があることと愚考します。


【日本文明の視点から】

また、日本文明という視点からは、国津神の祭祀を取り入れられた崇神天皇からの「ハツクニシラス」の御偉業によって、日本人は、縄文以来の魂を取り戻したという意義こそ見落としてはならないと思います。


騎馬民族説は、「天皇制」という、日本文明ならではの和を重んじる特殊な統治形態の創造を、大陸と同列の「力ありき」の征服に貶める悪意すら感じます。
そこには、太古から連綿と続く日本文明への敬意のカケラも感じ取れません。これが騎馬民族説を主張する人たちの本性です。


【終戦直後の反動】

こういった質の悪い説が、軍国主義者のための皇国史観や国体論の洗脳から解き放たれた終戦直後に出てくるのは、まあ仕方ない面もあります。記紀=フィクション説も、戦前の抑圧に対する反動としては理解できます。

軍国主義者(隠れ共産主義者)は自由と民主主義を抑圧し、国民を消耗品として戦場に送り込んだわけです。そのために、皇国史観と国体論を利用し、本当は素晴らしかった教育勅語や修身を悪用し尽くしました。

だから、戦後の一時期まで、日本国民は平和憲法を大切にして軍部の復活の道をなくし、皇国史観や国体論、教育勅語、修身を否定して息苦しくない歴史観や道徳観を模索したのだと思います。
1960年ごろまでであれば、こういう反動的な動きも評価すべきと考えます。


【1975年以降の困った状態】

許容できるのは、どれだけ遅くとも終戦から一世代30年(1975年)ごろまでです。つまり、それ以降の総理で戦後レジュームを脱却しようとしなかった総理は全て落第点です(つまり、中曽根総理と安倍総理だけ合格点)。そもそも経済至上主義で国防無視の田中角栄が日本の癌でした。

実際、1975年頃を境に、北朝鮮の拉致も発生しますし、新左翼と北朝鮮やシナがつながって、メディアと社会党を実力装置として、日本国を破壊していきました。
さらに、自民党の利権政治家(旧体制)とグローバリストも結託して、日本を食い物にしてきました。

どう破壊したか。
まず国際情勢が変化しても9条墨守で独立自尊の精神を破壊しました。
それと同時並行で、ドラマやバラエティを中心に享楽的で拝金的な風潮を蔓延させました。
あろうことか不倫や性交も奨励されました。家族的な温かい愛を崩壊させました。まさに家族を破壊することを闘争手段とした新左翼そのものです。

これが、日本人的でないバブル期の狂奔の下地になります。

オカルトブームの動きもこの時代からです。先述の学生運動崩れの霊的ボルシェビキのおっさんが70年代後半に「トワイライトゾーン」などの雑誌を創刊し、さらに79年、雑誌ムーの顧問になります。

オカルトブームの火付け役が、伝統破壊を好む新左翼と行動をともにした人物であったというのは重要な情報です。
日本の伝統的な「敬神崇祖」の精神文化を破壊し、霊的に危ういもの、禍々しいものへと誘導する意図があったのではないかと思います。

享楽を嫌った真面目な青年たちが、オウムに惹かれていき、魔物に食い荒らされました。
オウムはその典型ですが、今の気持ち悪いスピ系は、精神構造的にはムー・チルドレンであり、ミニ・オウムと言うべきでしょう。

このオカルト・ブームは、霊的には、太古からの「敬神崇祖」で形成された日本の結界を破って、外来の魔が入り込みやすい土地にしようとしたのではないかと思います。

個人が魔に魅入られると人生を持ち崩します。悪影響は、親類縁者まで及びます。
これは観念論ではなく、私の周辺で何人もの人間で現実に起こったことです。前途有為な日本の若者が何人も人生を棒に振りました。忠告は通じませんでした。おそらく、魔界的な魅惑にやられたのでしょう。
唯一、親孝行(身近な先祖への感謝=崇祖)に目覚めた人間だけ立ち直りました。それ以外は人生全滅です。
秘教的知識などは魔物の宣伝文句に過ぎず、太古であろうが、現代であろうが、魔物は魔物、正しいことは正しいです。

人生を棒に振った者らは、どこか現実逃避がベースにあったのではないかと思います。

いずれにしても、ムーをはじめとするオカルトブームがもたらした惨禍と言うべきではないかと思います。彼らは魔物の餌食になったのだと思っています。

今、スピ系(成功哲学を含む)にはまっている人がいたら、絶対にすぐやめた方がいいです。ドラッグと同じです。

これはアメリカでも同じで、60年代後半に出現したヒッピーが、戦争反対を叫びながら、ドラッグ、セックス、オカルトにはまっていったことはあまりにも有名です。中にはカルト教団に流れて、親を悲しませ人生を棒に振った人たちもいます。

日米だけでなく、先進国では1970年前後から底の浅い学生運動→新左翼ときて、メディアが享楽やオカルトを広め、それによって「美徳」が貶され、良識ある霊的習慣が急速に失われていったという共通点をなぜか持っています。

ちなみに、日本の全共闘世代(立憲民主党の支持層)は、この流れの真ん中にいた世代です。
自らが破壊してきた尊い価値(美徳、敬神崇祖)を顧みず、自らが作ってきたと思わされている浅い価値(反体制、平和、享楽的自由)を壊されると感じているのです。
踊らされて日本を壊してきたのですから、冥土に旅立つ前に、日本にとって良いことを一つでもしてほしいものです。

騎馬民族説は、浅い価値と歴史歪曲で、尊い天皇制を破壊しかねなかった、この時代の象徴ではないかと思います。


【GHQ改革】

話は終戦直後に戻ります。
GHQのした諸改革は、大別して精神文化に関するものと、経済・政治に関するものがあります。
このうち、経済・政治に関する諸改革は、地主と小作人、財閥と薄給労働者で超格差があった1920年代の日本国民が自ら成し遂げるべきだった農地解放、財閥解体、労働者の権利拡大と、それを支える参政権拡大などをしてくれたという点で、私は大いに評価します。
この点、吉田茂元首相が「日本を決定した百年」の中で書いているのを読んで、そういう認識に到達しました。

彼によれば、これらの改革で労働者や農民の給与や所得が増えたことが、その後の個人消費の拡大をもたらし、この個人消費の拡大が国内市場の競争と日本製品の品質向上をもたらすと分析しています。卓見です。
戦後の繁栄は、このGHQ改革に負うところ大だと言えるでしょう。

GHQにいたコミンテルンといっても、ニューディーラーと言うべき人たちが中心だと思います。また、日本にとって運のいいことに、冷戦が始まり、主導権は彼らの手を離れました。

戦後しばらくの日本を見ると、とても幸運だったと言う言葉しか思いつきません。そもそも軍部が崩壊したこと自体、幸運でした。

一方、精神文化に関する改革は、天皇制や神道、教育、メディア・コントロールなどであり、これらは日本国民を劣化させる意図がにじみ出ています。先述のように、軍国主義者が日本の精神文化を極度に捻じ曲げたので、日本国民の劣化は1930年代に始まっていたと言うべきだとは思いますが。。。

戦勝国アメリカが日本を二度と彼らの敵にならぬように洗脳しようとしたのも、彼らの国益に適うことだから、彼らとしては当然のことをしたまででしょう。

問題は、日本人自身が何もしなかったことです。戦前からそうでしたが、何が起こったのかさえも認識できていなかったのだと思います。

1975年あたりから最近までの約40年間は、日本人の不作為の結果、日本が滅亡していた時代と言えるかも知れません。

実際、1970年頃から洞察力のある多くの人が「日本の精神を失ったこのままだと、日本は滅亡する」と警鐘を鳴らしていました。1970年に割腹自殺した三島由紀夫氏はその一人です。外人では、ユダヤ人ラビ マービン・トケイヤー氏などもいます。「日本人は死んだ」という本を1975年に書いています。


【おわりに】

話を戻します。
終戦後しばらく(1960年ごろまで)は、軍部が国民洗脳に利用した皇国史観を否定して正気を取り戻そうとしたのは分かりますが、未だに騎馬民族説だのという主張をする人たちは、ハテナ以外の何物でもありません。

飛○昭雄は、オマケに、初代の神武天皇や10代崇神天皇という天皇制の基礎を築いた偉大な天皇の存在も否定するのですから、もはやコミンテルン「32年テーゼ」の申し子であることを疑ってみるべきでしょう。

さらに、スピ系の好きそうな情報を混ぜ込んで、オカルトの総合体系を作ろうとしているように思えます。これは、日本文明の破壊へと続く道です。

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