田中角栄以降 民主党政権まで (軸を喪失した国家)

拉致問題を初期から追い続けた阿部雅美という産経新聞の記者が、自らの反省を込めて素直に書いた「メディアは死んでいた」は、おススメの本です。
共産党や朝日の中にも熱心に拉致問題に取り組んだ心ある人たちがいたことは驚きでした。
「戦後」、特に1970年代後半以降について、いろいろと考えさせられました。

このブログの過去記事(http://s.webry.info/sp/66575033.at.webry.info/201806/article_6.html)で書いたように、終戦から一世代経った1975年前後から、日本はおかしくなったように思います。

1960年~72年までの池田勇人総理と佐藤栄作総理の長期安定政権の二人の総理は、吉田学校でしたから、国防の重要性を理解しつつ、方便として日米安保を基軸にして、軍部の復活の芽をなくしました。そして、高度成長を実現しました。
水面下では、核を保有するか否かというギリギリの検討も行なっています。

しかし、佐藤総理が「あの男にだけは総理をやらせたくない」と言わしめた田中角栄氏以降、日本では、経済至上主義が蔓延していきます。

長期安定政権の下、当時の自民党は、旨い汁を吸うのが習い性となったようです。その結果、しっかりとした国家観を持たずに権力の座を求める傾向が出てきたのだと考えられます。
なお、彼らの名誉のために言っておくと、田中派は「一致団結 箱弁当」と言われるようにそれぞれの議員が熱心に勉強し、政策に精通し、何か事が起これば、一致団結して解決に当たるという美風がありました。これは立派なことだと思います。
また、保守政権下での社会保障の充実も世界的には珍しく、高く評価すべきものだと思います。

しかし、「国家観」の根幹は、国防や国家主権、そして個々の国民の人権です。拉致問題はこれらの象徴であり、政治家、メディア、国民を問わず、拉致問題への感度が国家観の感度そのものと言って過言ではないと思います。

田中派は、社会保障、公共事業など個別ジャンルに強く、段取りや根回しの上手な政治家を育てることには大成功したものの、全体を統括するような「国家観」を持った大政治家を育てることには成功しなかったようです。
パーツを足し合わせれば国家になるというものではないのですが。。。パーツをどう組み合わせるかの骨格が国家観です。

パーツを寄せあわせるという発想から、国防は、他のパーツと並列のワンノブゼムになってしまいました。国家主権に至っては奇特な人が興味を持つ神学的な存在になったと思います。

これは田中派のみならず、他派も似たり寄ったりの状況でした。有能な人材も多くいたと思いますが、急激な経済発展に目を奪われたとしか思えません。

野党はと言えば、国防意識が高かったのは民社党くらいで、社会党は万年野党を是とし、憲法改正を阻止できる3分の1以上の議席数を確保できればよいという状況であり、「国家観」など持っていません。

メディアはというと、大企業の公害問題や政官財の利権構造の摘発には鋭い力を発揮しましたが、やはり国家観は乏しかったと言わざるを得ません。それは、反体制を行動原理にした学生運動の延長かとも思えます。

政治家が「国家観」を発信しない中、メディアも発信するはずもありませんでした。当然の帰結として、国民も「国家観」を忘却しました。

本当は、1970年代以降のこの時代、政治が「国家観」を語らねばならなかったのだと思います。国家観忘却とお花畑量産の責任は、この時代の政治にあったと思います。

「国家観」という軸は、政治が語らねば、誰も語りません。それは、判断の軸であり、国家というコマが回り続ける回転軸でもあります。

明治時代の元勲と言われる政治家たちは、列強のアジア侵略を前にして、否応なく国家観を持ちました。江戸時代の「指導者教育」が優れていたというべきでしょう。

政治家のみならず、例えば三菱の岩崎家の家訓に国家事業を行う事とあるように、また渋沢栄一が富国の道として民主導の国家を目指して多くの株式会社の創設に関わり、ロシアが朝鮮半島にシベリア鉄道を延伸しようとした時は日本資本でシベリア鉄道と接続できない幅の鉄軌道を敷設しようとしたように、民間人も「国家観」を持っていました。

明治維新から二世代ほど経過した1930年代も「国家観」は持っていました。隠れ共産主義者の軍部なので、いびつで誤りだらけではありましたが。。。健全な国家観でなければ、自由を奪われた国民は苦しみ、国家は滅ぶという例です。(http://s.webry.info/sp/66575033.at.webry.info/201803/article_6.html

戦中の苦々しい抑圧政治と敗戦を経た後の保守政権で、吉田茂、石橋湛山、岸信介、池田勇人、佐藤栄作の各総理は、「国家観」を持っていたと思います。国防の重要性を認識しつつも、自由と民主主義の価値を極めて重視し、共産主義的な軍国主義の復活を許しませんでした。
このため、自由と民主主義という価値観を同じくするアメリカとの同盟を重視しました。この時期は、大きな絵の中に、日米安保も経済も収まっていた感があります。

その後は、田中角栄から、国家観を感じられない総理が続きます。田中に至っては、シナからの申し入れで、公安にシナをマークするのをやめさせたわけですから、やんぬるかなです。
実直で読書家の大平正芳もそれに加担していますが、環太平洋という構想を出したのは国家観の表れだと思います。しかし、ノンポリ田中の影響が濃く、引きずられがちである上に、シナに甘かったのが惜しいところです。

中曽根康弘に至ってようやく、指導力もあり国家観を程々に持ち、国防の重要性を説く総理が出現しますが、1980年代は国民が国家観を忘却していました。それに瀬島龍三がソ連のスパイである可能性を見抜けず、重用しました。これでは、近衛文麿の轍を踏んでいるとしか思えません。
その後、竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、宮澤喜一、細川護熙、羽田孜と続きますが、竹下派(特に小沢一郎)の傀儡です。彼らに国家観を感じられないのは当然です。
さらに、村山富市、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦と続きますが、「国家観」をベースにしていると感じるのは、安倍氏と麻生氏のみです。

田中角栄以降、社会が豊かになる反面、享楽的になり、ドラマやグルメ、スポーツなどに国民やメディアの関心の大半が集まり、政治についての関心は景気と税率くらいなものとなり、「国家観」がなくてもサル山のボスになる又は担がれる能力があれば、総理が勤まった時代と言うべきでしょう。

橋本氏と小泉氏にはグローバリストの影を色濃く感じます。
彼らが決然と断行した「改革」というのは、一皮剥けば、金融環境の改革です。国家の影響を極力排除して、大企業への金融資本家の影響を強くする改革です。グローバリズムの嵐の前で仕方なかった面はありますが、安倍総理のような、国益を重視した「グローバリストとの共存」という知恵を絞った感がしません。

鳩山や菅に至っては、国家観が皆無であることが、これ程、国家の衰退を速めるのかと恐ろしくなります。
日米中の正三角形やアジア共同体などのバカげたたわ言を言っていましたし、菅直人に至っては、拉致実行犯のシン・グァンスの解放嘆願をしていますから田中角栄以上に罪です。

「国家観なき時代」は、田中角栄に始まり、菅直人に終わるという感じです(エセ保守の野田はオマケ)。約40年間です。

こうして俯瞰すると、いざという時の国防や外交を真剣に考えるところから「国家観」は生まれるのだと考えます。
ただ、「国家(権力)ありき」では戦前の軍部や、今のシナ、北朝鮮、かつてのソ連の道です。
「国民ありき」で、自由と民主主義を基調にする必要があります。そうした国家観を持っていたのは、繰り返しになりますが、吉田茂、石橋湛山、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、中曽根康弘、安倍晋三、麻生太郎だけです。


英米ではどうでしょうか。
英国ではチャタムハウス(王立国際問題研究所)、米国ではCFR(外交問題評議会)が「国家観」を時代に合わせて立案する役割を果たしてきました。これらのシンクタンクは、政治に大きな影響を与えてきました。米国では高官の人材源です。
いずれも、地球儀を俯瞰するようなシンクタンクであることを着目する必要があります。地球儀で俯瞰しなければ、「国家観」は持てないということを意味します。


以上を総括すると、日本は1970年代に「軸なき国家」になりました。後の「失われた20年」の原因は、この時代の「軸」のなさに胚胎していたと言うべきでしょう。

日本国内に国家観がないか、又は英米並みのシンクタンクがないという中枢の欠損状態が続いたため、米国のジャパン・ハンドラーズと言われる人たちが自民党政治家や学者などに背後から指図するという異常な状況が恒常化したのだと考えられます。
米国の戦略家からすれば、対等に話せる相手がいないのだから、日本が米国の国益と反する方向に舵を切らないように指図せざるを得なかったということです。

これこそが、日本が米国の属国だと言われる根本的な原因だと考えられます。
ちなみに、自民党の重鎮OBたちが一時期「安倍おろし」に走り、その後、安倍総理の中東歴訪で沈静化した背景には、旧来型の国家観なき政治家のパブロフの犬的な反応があったと考えられます。エルサレム首都問題が「安倍おろし」の真相だと考えます(安倍政権はエルサレムを首都として承認できないと言明し、これにユダヤ系グローバリストが激怒し、中東歴訪で手打ちした。)。

安倍総理は、グローバリストとの共存を視野に入れながら、独自の国家観をしっかり持っている稀有の宰相だと思います。それゆえに、英米も対等に話してくるのでしょう。

「米国がジャパン・ハンドラーズを使って日本を属国化している」という副島隆彦らの主張は、安倍政権より前は当たっている面があったものの、「日本の指導層が国家観を持っていなかったこと」が「属国化」の根本原因であったことが、安倍総理の登場で証明されたのではないかと思います。
ちなみに、副島氏にも「国家観」は全く感じられません。そもそも国家観があれば、安倍政権以降の日米関係の変化に敏感に気付くはずです。


そして、安倍晋三という「国家観」を持った宰相が国家運営をし始めてから、「もう日本は衰退しかない」と言われていたのが、あれよあれよと言う間に復活しつつあります。
失業率や有効求人倍率など20年ぶりの数字が続発し、先日発表された有効求人倍率1.6など40年以上ぶりだという復活ぶりです。本当は、号外ものの大ニュースです。

ちなみに、安倍総理が改憲したいのはお祖父さんがどうのではなく、素朴に「国家観」にそぐわない憲法だからだというに過ぎないと思います。

この安倍政権の間に、日本の指導層の何割が70年代以降の誤りに気づき、「国家観」を持てるかが、これから数十年の日本の浮沈を左右すると思います。安倍政権の間に、日本が明治のような興隆する国家になることを期待します。

石破さん、野田さん、岸田さん、それぞれに魅力を持った政治家だろうと思いますが、旧来型の国家観なき政治家であると感じます。
小泉さんは未知数ですが。。。今のところ、国家観を全く感じません。
今のところは、河野太郎さんが唯一、国家観を持っていると感じますが、一匹狼的です。


この記事へのコメント

この記事へのトラックバック