中央ユーラシア(ロシアやモンゴル)

これまでカザフスタンやアフガニスタンなど中央アジアの重要性がいまいちピンときませんでした。強いて言えば、この地域の重要性の根拠としてはレアアース、石油などの資源が言われていましたが、それですら、あまりメディアで取り上げられることは多くはなかったと思います。

しかし、「ロシアとは何か?」を調べたり、地政学を学ぶうちに、「中央ユーラシア」(≒地政学のハートランド)の重要性が浮かび上がってきました。ユーラシア大陸を俯瞰すると、中央アジアは「中央ユーラシア」の一部を構成します。「中央ユーラシア」の視点を持った時、「中央アジア」の重要性はおのずと理解できます。

また、安倍政権の対露外交によってこれから交流が増大すると考えられるロシアという広大な国家を考える際に、これまでは、どうも
○ヨーロッパ・ロシア(ウラル山脈以西)
○シベリア(ウラル山脈以東)
という二つの地域で構成されているかのような漠然としたイメージしか持てませんでした。
しかし、ロシアの本質が「中央ユーラシア」の大勢力であることにあると考えると、もう少しロシアの実像というか深層部に迫れるのではないでしょうか。
例えば、
・ロシアのウラル山脈以西のヨーロッパ・ロシアの南半分は、実は「中央ユーラシア」の西部を構成しており、「遊牧文明の故郷」というべき重要な地域です。
・ロシアにカザフスタン(親露)とモンゴルを加えると、古来からの「中央ユーラシア」が復活します。
・西シベリア平原の南部は古代オリエント文明と同時期の「アファナシヴォ文化」が栄えた地域です。
・カザフスタンから西シベリア平原にかけては、中央ユーラシアの中央部に影響を与えた「イスラム圏」になります。
・「バイカル湖沿岸」は「中央ユーラシア」を統一したモンゴル人の故地です。
・「シベリア鉄道」は単にヨーロッパから極東を結んだという以上に、前近代の「草原の道」の再生とも考えられます。

西欧人から見れば、ロシアは、ウラル以西と以東(シベリア)でしかないですが、「中央ユーラシア」の視点で眺めると、様々なことが見えてきます。

【中央ユーラシア概観】
この「中央ユーラシア」は、地理的には、北シベリアは含まず、
・東は満州から、
・モンゴル高原・ゴビ砂漠(モンゴル)を経て、
・南からチベット高原(チベット)、タリム盆地(ウイグル)、そしてカザフスタンを通って
・カスピ海に至り、
・さらに南ロシアを経て黒海北岸(ウクライナ)、
・東欧
に至ります。
この広大な地域をひとつのまとまった地域ととらえると、歴史の見え方や現代の国際関係の見え方がまるっきり変わってきます。それについては、以下でおいおい書いていきたいと思います。

ゲルマン民族の大移動の原因となったフン人はモンゴル高原からオルドス地方にいた匈奴(フンヌ)人というモンゴル人の祖先で、彼らはフィンランドやハンガリーの民族の元となりました。さらに、「中央ユーラシア」の東部に起源を持つマジャール人、アヴァール人、モンゴル人などが断続的に東ヨーロッパに押し寄せます。

世界を理解する際に大概の場合はアジアとヨーロッパは別の地域として分けて考えると分かりやすいのですが、ロシアや東欧を考える際、彼らが「中央ユーラシア」の一部を構成するという視点が必要になると思います。

ロシアというのは、ヨーロッパであると同時にアジアでもあると考える必要があります。西欧とは全く違う歴史を辿った一方、かなり早い時期からモンゴル帝国に象徴される「中央ユーラシア」の文化を継承し、帝政ロシアの時代に「中央ユーラシア」以北を征服する衝動に動かされて極東まで一気に支配圏を拡大したのがロシアです。
後述しますが、ロシアは、後述するように、そのルーツの一つを黒海北岸の騎馬スキタイに持ちます。ロシア帝国=「スキタイ帝国」、現代のロシア連邦=「スキタイ連邦」と言い換えれば、別の見方ができるかもしれません。
古代スキタイ人は「中央ユーラシア」文明(遊牧文明)の基礎をつくった民族であり、スキタイ文明はフン人やその末裔であるモンゴル人など東方の「中央ユーラシア」文明にも継承され、そのモンゴル人の支配から独立したのが、現在のロシアのルーツであるモスクワ大公国です。
つまり、スキタイ人→フン人→モンゴル人→ロシア人(スキタイ人の末裔)という流れになっており、モンゴル帝国によるロシア人支配(タタールのくびき)によって、遊牧文明が源流に戻ったと考えることもできます。

【中央ユーラシアの歴史概観①】
ここで、「中央ユーラシア」の理解を深めるために、その歴史を俯瞰してみたいと思います。

<古代オリエント文明と同時期から始まる文明>
この地帯(大部分が草原)は、古くはオリエント文明と同時期のBC3500~BC2500のアファナシヴォ文化に始まり、BC7世紀頃にスキタイ人の「遊牧文明」が形成されました。羊・山羊や牛・馬といった家畜を飼育して衣食を得、牧草を求めて移動するために多くは所有せず、移動可能な簡易な住居に居住しました。
その後も、フン人、トゥルク人、モンゴル人(フン人の末裔)が、「中央ユーラシア」を縦横に駆け巡り、世界史を動かす原動力になってきました。

<高速移動が可能な遊牧民族>
○チャイナやインド、中東などの「南ユーラシア」や
○ヨーロッパの「西ユーラシア」
の「農耕文明」が定住をベースにした文明であるのに対し、これらに接する「中央ユーラシア」の「遊牧文明」は高速移動が可能な文明です。
後に、イギリスやアメリカという「シーパワー」が出現するまでは、高速移動できる軍事力は「遊牧パワー」が飛び抜けていました。

世界史を理解するに当たって、高速移動性に着目すれば、
○前近代は、中央ユーラシアの「遊牧パワー」
○近代以降は、西欧に発する「シーパワー」(特にイギリス、アメリカ)
が、農耕文明エリアに侵入を繰り返した歴史と考えることができます。

<草原文化の特性(緩い連帯感情、そして「草原の道」が育む文化)>
「中央ユーラシア」の主たる民族は、時代とともに推移してきました。
つまり、①スキタイ人(スキタイ文明)→②フン人(匈奴・フン)→③トゥルク人(突厥)→④モンゴル人(モンゴル帝国)→⑤トゥルク人(オスマントルコ帝国)→⑥ロシアのコサック人(帝政ロシア→ソ連→ロシア連邦)です。

「中央ユーラシア」の大地で育まれた諸民族は遺伝子的には異なりますが、何しろ牧草を求めて広範囲を移動する人々ですので、文化的には類似性が高いです。このため、緩い連帯感情を有しています。

また、「草原の道」と言うべき移動経路がありました。

これによって、「機動的」な移動が可能になります。これは軍事力に着目されがちですが、大半の平時には「交易」文化を育むことになります。
交易を担うということは「情報」を持つということです。「中央ユーラシア」の人々はユーラシア大陸各地の情報を集めやすいです。
ロシアのシベリア鉄道などは、近代版の「草原の道」です。後述しますが、チャイナの「一帯一路」構想は、ロシアのシベリア鉄道と衝突せざるを得ないでしょう。

<「世界史」の始まりはモンゴル帝国から>
上記③(突厥)までは「中央ユーラシア」を統一する勢力は存在しませんでしたが、13世紀、④のモンゴル帝国以降は、オスマントルコ帝国やロシア帝国など広範囲を統合した勢力が出現します。
これによって、ユーラシア大陸の東西は結ばれることになり、それ以前の地域史の時代から脱却して「世界史」の時代が始まります。
この流れの上に、15世紀末以降は「大航海時代」というシーパワーの時代が続きます。

つまり、高速移動が可能な「中央ユーラシア」の統合が「世界史」を創り出し、大航海時代以降の西欧に影響を与えたと言えると思います。そして大航海時代による西欧の世界進出は、ロシアの「中央ユーラシア」性を呼び覚まし、極東までの広大な帝国の形成を促しました。

<ランドパワーとシーパワーの対立の根っこ>
なお、これ以降、
○「中央ユーラシア」(特にロシア)という「ランドパワー」と
○西欧(特にイギリス、アメリカ)の「シーパワー」
が対立することになります。
これが、
・イギリス・ロシアのグレートゲームであり(その一環で日露戦争(日本=イギリスの代理))、
・米ソの冷戦であり、
・米露の対立
であり、米露対立は、遡れば、世界史が始まったモンゴル帝国の時代に行きつくわけですので、非常に根が深いと考えられます。


【中央ユーラシア史概観②(中央ユーラシアによるユーラシアの他地域の支配)】
もう少し具体的に、南ユーラシアと西ユーラシアへの「中央ユーラシア」の影響を見てみたいと思います。

<チャイナ地域>
農耕チャイナ(漢人)との関係では、常に南下して侵略する勢いを示し、満州まで「中央ユーラシア」に含めると、実はチャイナ史の大半は、「中央ユーラシア」勢力によって征服されていた歴史です。

・殷(満州系?)、周(チベット系?)、秦(チベット系?)に始まり、
・漢人の漢帝国を経て、
・五胡十六国は匈奴系や鮮卑系、
・隋・唐の大帝国も鮮卑系、
・その後の金(満州系)、遼(契丹系)、西夏(タングート系)の後、
・モンゴルが征服しました。
・その後、漢人の明帝国を経て、
・今度は満州系の清帝国が征服しました。
・日本を含めた列強の力で清帝国が滅亡した後、現代の共産チャイナは漢人支配です。

○遊牧民族が支配している時代は多様性に寛容で国際的な性格を有し、
○漢人が支配している時代は偏狭で排外的な統治に陥り、文化発展も停滞してしまいがちです。現代チャイナで何か文明的に見るべきものが発明されたでしょうか。

チャイナ文明とは、中央ユーラシア文明と農耕チャイナ人(漢人)文明の接触によって発展したと考えるのが妥当であろうと考えられます。

<インド亜大陸>
「中央ユーラシア」勢力は、インドに対しても、モンゴル帝国の後に侵入が激しくなり、チムール帝国の後、ムガール帝国(ムガール=モンゴル)が、シーパワーであるイギリスがインドを植民地にするまで長期間にわたってインドを統一・支配しました。
インドは、チムール帝国以降、遊牧民族→シーパワーの両方の支配下にあったという点は興味深いです。

<中東、バルカン半島、東欧>
中東や東ヨーロッパにも、「中央ユーラシア」勢力は、波のように押し寄せました。

まず中東では、アラブ人の帝国の時代の後は、セルジュークトルコ帝国、モンゴル帝国、オスマントルコ帝国といったように、「中央ユーラシア」勢力による支配が続きました。
オスマントルコ帝国は、アナトリア半島(今のトルコ)を支配し、さらにはローマ帝国分裂後も千年間続いた東ローマ帝国を滅亡させ、バルカン半島を支配下におさめ、東欧や中欧(オーストリア)を圧迫しました。

また、東欧には、東からは、古代よりフン人、マジャール人、アヴァール人が侵入し、混血が進みました。

<ロシア>
ロシアは、そもそもが黒海北岸に中心を持っていたスキタイ人の血が色濃く入っています。Y染色体のハプログループでは、スキタイ人の支配層である騎馬スキタイとロシア人は同じグループです。つまり、ロシア人はスキタイ人の末裔です。
さらに、200年近くにわたってモンゴル帝国の支配下に置かれましたので、ロシア人は支配手法の一端をモンゴル帝国から学びました。

このロシアが、力をつけると満州まで勢力を伸ばしたり、オスマントルコ帝国と黒海を巡る争いをし、また、清帝国とも長年にわたって国境紛争を繰り返したのは、ロシアが「中央ユーラシア」勢力であるからだと考えると理解しやすいです。ロシアをヨーロッパの一部だと認識すると、彼らがなぜ膨大な領土を有する大国になったのかが理解しづらいと思います。

そう考えると、ロシアは、トルコとは単なる同じカテゴリー同士の争いであるのに対し、チャイナとは潜在的に宿敵関係にある勢力であると理解することが可能です。チャイナはロシアを絶対に信用せずに出し抜こうとしますし、ロシアもチャイナを信用することはありません。

<「中央ユーラシア」と他地域の関係(まとめ)>
上記のチャイナ、インド、中東及び東欧が「中央ユーラシア」勢力の侵略に受動的であったのに対し、ロシアは「中央ユーラシア」勢力の一部を構成し、積極的に侵略をしている点に留意が必要です:。

東西冷戦とは、西ユーラシアにおいては、西欧中心の国家・社会が「中央ユーラシア」であるロシアに対峙した現象と整理することもでき、それ自体は帝政ロシアから現代まで形を変えながら続いている現象と考えられます。
チャイナ史の中で、北方遊牧民(「中央ユーラシア」勢力)と漢人が対峙してきたのと、構造的には類似しています。ただ、チャイナの場合、圧倒的に漢人勢力が弱すぎますが。。。


【現代のロシアとチャイナ、イスラム勢力の「中央ユーラシア」への関わり(いずれ衝突)】
歴史を振りかえると、ロシアもチャイナもイスラム勢力も「中央ユーラシア」の動向には敏感にならざるを得ない遺伝子を有していることが分かります。

<ロシアの場合>
ロシアは「中央ユーラシア」の一部を構成しますが、「中央ユーラシア」の南半分(歴史的には中核エリア)の殆どはロシアではありません。

ただ、カザフスタンなどの中央アジアは「中央ユーラシア」の覇者に付くことが多く、今のところは基本的に「親露圏」です。

一方、「中央ユーラシア」はその歴史から、イスラム勢力が多くロシア国内にも多くのイスラム教徒がいるため、ロシアは必然的に、中東を含めたイスラム圏に過敏にならざるを得ません。

もう少し突っ込んで考えれば、中央アジアの北側にイスラムベルトが伸びており、この動きが活発化して反ロシア運動をされてしまうと、ロシア連邦は東西に分断されてしまう上に親露の中央アジアも失うことになって、ロシアは「中央ユーラシア」の盟主たり得なくなってしまいます。
したがって、「イスラムベルト」は、ロシア崩壊の潜在的危機を内包している重要なエリアと言うべきでしょう。

今もロシアはシリアの内戦に介入したり、イランと組んだりしていますが、石油という実利面以外に、国内のイスラム勢力という内政面、さらに「中央ユーラシア」に起源を持つ民族としての潜在的な衝動としてイスラム勢力に関心を持たざるを得ないのです。

ただ、今のロシアが仲良くしているのが、シリアにしてもイランにしてもシーア派であり、ロシア国内のイスラム教徒(スンニ派)を刺激している危険性はありますが、後述するようにイスラム勢力が分裂していた方が、中東から外に向かう力が弱まりますので、ロシアにとっては、中東の混乱を増すように振る舞った方が好都合なのかもしれません。

この点は、中東への関心が主として「石油」だったアメリカとは違い、ロシアの場合は複合的な要因を抱えていると考えた方がよいでしょう。
これまでロシアの動向を分析する際に、これまでは石油などの資源が目的であると分析されがちでしたが、彼らの国家の存立意義に関わるもっと奥深い衝動があるのです。

<チャイナの場合>
現代チャイナは、久々の漢人主体の国家です。したがって、中央ユーラシアに対しては「外部的脅威」になりうるという関心です。
このため、まず国内のウイグル人(トルコまで続くトゥルク人の東端)の勢力を叩く一方で、「一帯一路」構想をぶち上げ、「中央ユーラシア」を通る道路インフラを整備しようとしています。

この「一帯一路」の動きは、当然、ロシアと衝突します。ロシアはチャイナに対して、現時点では表面的には友好関係を築いていますが、中長期で見たときには、必ずチャイナと衝突します。

また、「中央ユーラシア」には、古代から民族を超えた緩い連帯感情があります。スキタイの装飾文化とフンヌ人(匈奴)の装飾文化は同じです。モンゴルが興隆したときに、中央ユーラシアの諸民族はその傘下に入りました。
チャイナによるモンゴル人やウイグル人虐待は、チャイナへの不信感(嫌中感情)を増幅させるでしょう。

中央アジアの支配層は独裁政権が多いため、チャイナの「一帯一路」構想に期待感もあるでしょうが、一般民衆レベルは正しい情報を知れば、反チャイナ感情が醸成されているのではないかと思います。
ただ、チャイナがウイグル人やモンゴル人にしている虐待行為が正しく伝わっているとは考えがたく、チャイナのヘゲモニーを拡大させないためには、中央アジアに正しい情報を伝えていくことが重要であろうと考えられます。


<イスラム勢力の場合>
南ユーラシアの中東に中心のあるイスラム勢力は、「中央ユーラシア」のアフガニスタンやカザフスタンからロシア国内まで伸びる一大勢力です。

ただ、中東のイスラム勢力は現在混乱しています。

つまり、
○イランを中心にイラク北部やシリア政権にまで伸びる「シーア派」勢力と、
○サウジアラビアを盟主とする「スンニ派」勢力
が地域内で対立をエスカレートさせています。

これに加え、イスラム勢力の主流である「スンニ派」は、サウジアラビア以外にもトルコ、ISが、盟主サウジと連絡することなく、独自の動きを見せています。今のところ、この混乱は、ロシアやトルコなど中東の外側からの介入はありますが、ISの動きを除けば中東内から外に向か動きにはなっていません。
内部分裂が外向きの力を削いでいる状態であるので、当分はイスラム勢力が中央アジアに影響を与えることはないだろうと考えられます。

このような状況は、ロシアにとっては好都合でしょう。

唯一ISのみが中東の外側に対する能動的攻撃(テロ)を仕掛けていますが、これは主として欧米へのテロです。
なお、本来のイスラム教は平和・寛容(内面的ジハード)を重視する宗教であり、ISは異端です(日本赤軍が殺人思想に憑りつかれた単なる過激派でしかなく日本人的でないのと同様、ISもイスラム的ではなく単なる過激派です。)。

歴史を見れば、イスラム勢力が中東に急拡大したのは、「減税」の力と共同体による「セーフティネット」の魅力によるところが大きく、ISのように「武力」で拡大しようとするのは邪道です。彼らは異端である上、過去のイスラム拡大の歴史への洞察が浅過ぎるため、テロリストから脱却することはできないでしょう。

そのISですが、中央アジアのフェルガナ盆地(キルギス)に「第二IS」を建国しようという動きがあるとの情報があります。この地域はウイグルと隣接しており、チャイナにとっては一大脅威になることが予想されます。
チャイナとイスラム勢力の泥沼の構想に発展する可能性があり、今後の動向を注視する必要があるでしょう。


【チャイナ分裂後のユーラシア東部】
<チャイナ分裂と「中央ユーラシア」勢力の南下>
現代のチャイナは、共産党が強引に清帝国の領土を継承したものであり、本来の漢人の生活圏よりも大幅に広くなっています。満州、モンゴル、ウイグル、チベットの地は、もともと漢人の生活圏ではなく、「中央ユーラシア」勢力の生活圏でした。

このため、チャイナが分裂すると、既に絶滅寸前の満州人は別として、モンゴル人、ウイグル人、チベット人が外国勢力と結んで自立の動きを見せるでしょう。
チベットはダライラマを保護するなど英米が深く誼を通じており、英米勢力が進出するでしょう。
モンゴルは、北モンゴルがそのまま南下して民族統一をすると考えられます。
ウイグルは、中央アジア勢力やイスラム勢力が進出するのではないかと考えられます。

その際、歴史に照らせば、「中央ユーラシア」勢力の中でも最有力のロシアが、満州など極東から南下を始めることは想像に難くありません。あるいは、モンゴルやカザフスタンと連携して、チャイナや中央アジアでも勢力を拡大する可能性もあります。

そうすると、アメリカを中心とした「市場文明」勢力からすれば、市場文化が乏しい広大なエリアが出現してしまうことになりますが、これは明らかに好ましいことではありません。

<恐るべき安倍外交>
チャイナ分裂後の混乱が中央ユーラシアの東半分全体に及ぶことを回避するため、日本は市場勢力を代表して、
①中央アジア、
②モンゴル、
③極東ロシア
と太いパイプを構築することが必要だと思いますが、驚くべきことに安倍外交では、既にこのいずれに対しても手を打っていて、市場化が進むように努めています。

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