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zoom RSS 憲法9条の存在によって日本が失っているチャンス

<<   作成日時 : 2018/05/02 20:15   >>

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憲法9条は1960年代頃までは必要だったと思います。

GHQによる押し付けがあったにしても、軍部によって国民が消耗品の如く扱われたあの戦争を経験した日本国民は消極的にでも9条を必要としていたと思います。

これについては、過去に↓のとおり考察しました。
http://s.webry.info/sp/66575033.at.webry.info/201802/article_15.html

しかし、1970年代から日本を取り巻く国際環境が変わってきます。

まず日本自身が高度成長期を経て、ドイツを抜いて世界二位の経済大国になりました。
このため、アメリカからすれば、日本は日米安保にタダ乗りしていると映るようになってきました。
「大国になって競争相手でもある日本の国防のために、なぜアメリカの若者が命を失わなければならないのか」という素朴な疑問への回答は未だに見つかっていません。

「日本はずるい」ということです。
競争相手ですから、アメリカからは、安保を人質に経済構造を変えろという圧力をかけられることになりました。

この頃、東側陣営で、シナとソ連の亀裂が大きくなるという事態が進行しました。それに加えて、シナは核兵器を持ち、軍事的には大国になりました。

アメリカからすれば、アジアでソ連の脅威と向き合うパートナーとして、憲法9条に自縄自縛になった日本よりもシナの方が遥かに魅力的に映るようになります。いわゆるバードン・シェアリングの議論です。

日本側は、中道以左と自民党左派(いわゆるリベラル)がこうした国際環境の変化を完全に無視しました。そんな中、田中角栄が総理になり、経済最優先で安全保障の議論を置き去りにする政治環境が形成されました。

その結果、ニクソンの電撃訪中、米中接近に続いて日中友好へと舵が切られただけでなく、田中総理は公安にシナをマークしないよう指示したと言われています。本当なら、シナ人の権謀術数を理解しない天下の愚策です。

これにより、日本国民の目は塞がれてしまいました。

米中接近の密約として、アメリカはシナの要望だった「日本封じ込め」を飲んだと言われています。

私は、現代に至る禍根が、この「70年代の無策」によってもたらされていると見るべきだと思います。

この70年代は、旧体制が形成された暗黒時代の入り口でした。いわゆる「戦後レジューム」と言われるものは「70年代レジューム」と言い換えてもいいでしょう。拝金主義に狂奔しながら、正常さを失っていった時代です。

国家観の欠如した全共闘という学生運動をメディアが持て囃し、そのシンパがメディアや野党を侵食していきました。

忘れてはならないのが、戦後日本最大の人権侵害である拉致事件が起こったのも「70年代」であるという点です。
これには、当時の日本の労組が関わっていたという証言を舘雅子という元市会議員がしています。日本で革命を起こすことを目的として、北朝鮮は海の向こうの兄弟だそうです。

また、旧社会党の土井たか子ら幹部は拉致を知っていたという疑惑が濃厚です。そもそも、終戦直後に朝鮮系の革命家は日本共産党にいたのですが、路線対立で党を出て旧社会党左派とくっついたのですから、根が深いです。

旧社会党の流れを汲むのが、今の政界では、社民党と旧民主党(立憲民主党、国民民主党)です。北朝鮮情勢そっちのけで、むしろ、そこから目を逸らさせるかのように、もりかけばかりをやって、国会審議をサボっている人々です。彼らを「国民の代表」と呼ぶのには抵抗がありますね。。


不可解なのは、横田めぐみさんが拉致された後、警察が誘拐事件ではなく拉致を前提として捜査していた形跡があるのに、与党自民党が拉致事件を放置してきたことです。

そればかりでなく、「70年代」にスパイや工作員について何度も報道されていたのに、自民党の旧体制は、スパイ防止法の制定に動きませんでした。これも不可解なことです。

北朝鮮を巡っては、利権の絡んだ何か深い闇のようなものでもあるのでしょうか。。。ジャーナリストではありませんので、素朴な疑問を提起するに留めたいと思います。


話を戻します。
日本は、「70年代」に正常な判断を失っていったと感じます。

本当は、日本を取り巻く国際環境が大きく変化した「70年代」に、憲法9条を改正しなければならなかったのではないかと思います。

それを国民の負託を受けているにも関わらず、自民党(旧体制)が放置して動かし難くなっているのが、今の状況ではないでしょうか。
そして、それを動かして少しでも正常化しようとしているのが、安倍総理だと思います。「国民の負託を受けているから責任がある」という素朴な理由だろうと思います。

日本が9条を変えないために逸しているチャンスとしては、以下のようなものが考えられます。

●拉致問題の解決
(返す動機のない相手にブラフが効かない)
(→多くの国民が人権侵害された状況を国家として如何ともできない)

●日米貿易摩擦でのアメリカへの有効なカウンターパンチ
(日米安保を持ち出されると腰砕けになる)
(→膨大な経済的利益を失い、金融をコントロールされて20年を失った。ロスジェネ世代など哀しい人々を生み出す遠因)

●シナのアジアへの膨張へのカウンターパンチ
(東南アジアや台湾を守るカウンターになり得ない)
(→これら地域を公正なルールで育てる機会を減じている)

●領土問題の解決
(韓国にすら、完全にナメられている)
(→漁師が失った利益は小さくない)

しかし、失ったもので最も大きなものは、「独立自尊」の精神ではないかと思います。

明治の人々は「独立自尊」の精神を持っていたので大きく物事を捉える人々が多くいたように思います。「自分が国家を支えるんだ」と。少し前のボスのCMの山田君のように。

本日の産経新聞で正論大賞をとった新保祐司氏の講演が掲載されていましたが、明治は「非凡なる凡人」が数百万人いたと言っておられます。とても触発される言葉ですが、その彼らが非凡だった所以は「独立自尊」の精神だろうと思います。


生臭い話にするつもりはありませんし、変えられなかった過去や阻んだ人々を全否定するつもりもありませんが、「そろそろ本気で憲法9条変えてみたら?」と思います。

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