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zoom RSS 今の理科教育への違和感

<<   作成日時 : 2018/04/09 19:12   >>

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少し前の記事では、明治以降の「指導者教育の欠如」という違和感を書きました。ここでは、「理科教育」についての違和感を書いてみたいと思います。


【なぜ理科を学ぶのか?】
「なぜ理科を学ぶのか?」に答えられる先生は日本にどのくらいいるのでしょう?
そういう「何のために?」という素朴で良質の疑問を教育者は持っているべきだろうと思います。

果たして、近年言われるような「理工系が減ってるため」でしょうか。
こうしたテーゼの立て方には、明治以降の教育を受けた日本人が陥りがちな「問題の矮小化」と、それに伴う迷走を見る思いがします。

「近代社会は科学が基盤にあるので、「科学の素養」を身につけるため」
という、素朴な目的でいいのではないでしょうか。

おそらく昔の村では、農作業や様々な共同作業、しきたりなどを覚えるのが、生きるための素養でした。それと同じです。

理工系が育つかどうかは結果論に過ぎません。
それに、個々の子供たちにとって国家は遠いものなので、日本で理工系不足と言っても他人事になるでしょう。反発すら覚えるかも知れません。

理科教育の目的は「近代社会で生きる素養を身につけること」だと思います。

そもそも教育は「素養を身につける」というのが本質的であり、「知識を身につける」のは二の次です。


【近代文明の基盤は古代ギリシャ】
西欧で始まった近代文明は、暗黒中世の最中に北イタリアを中心に起こった「ルネサンス」にその萌芽を見ます。ガリレオ・ガリレイ、レオナルド・ダ・ヴィンチなどの先駆者が道を開きました。

ルネサンスとは「再生」の意味です。
では、何が再生したのか?

「ギリシャ文明」です。

中世ヨーロッパは、ローマ的キリスト教(=本当のヨシュア・メシアの教えから乖離)によって、科学的な思考が抑圧された社会でした。初期の科学者であるガリレオが教会によって弾圧されたのは有名なことです。

一方、地中海交易でイスラム圏との交流が盛んになった北イタリアには、イスラム圏の文物が流入しました。その中に、ヨーロッパでは千年近くも忘れ去られてきた「ギリシャ文明」の哲学や科学が含まれていました。

まるで、鎖国時代に一部の日本人が弾圧されながらも蘭学・洋学を貪欲に学んだように、カトリック教会の目を盗んで「ギリシャ文明」の知識が広まっていったと考えられます。


【プラトンこそ近代の父】
「ギリシャ文明」の精華は、なんと言ってもプラトンです。

プラトンは、「イデア論」を立てました。
まず、不完全な現実界とは別に理想的なイデアの世界があると説きました。
例えば、現実界の馬、人、国家その他諸々はいろんな事情で完璧ではないが、イデアの世界にはそれぞれの理想形(ひな形)が存在しているということです。

そして、人間がそのイデア世界を理解するには数学を学ぶことが肝要だと考えました。数学的な論理思考を含めた数学によって、イデア世界が解明できるという考えです。

これこそが科学(理科)の基礎です。

なお、イデアの世界を理解できる崇高な人を哲学者(哲人)と言い、民主政治よりも哲人政治の方が優れていると説きました。

ただ、この発想は、陰に、エリートが社会を設計して運営するという設計主義(代表例は共産主義)に影響を与えたと思います。これは弊害として認識しておく必要があると思います。

(注)ちなみに、AIの発達により、人類は、改めて、哲人政治と向き合うべき時代が迫っているかも知れません。

話を戻します。
プラトンの「数学によるイデア世界の理解」という発想は、ガリレオの「宇宙は数学という言語で書かれている」に見事に符合します。

よく、近代の原点として、精神と物質を分離したデカルトを置く有識者がいますが、これは、極めて表層的な見解と言うべきでしょう。

近代がギリシャ文明に由来している以上、近代の「原点」は2500年前のプラトンです。
デカルトは、精神世界が科学的思考を抑圧していたヨーロッパ中世から脱却する手助けをしたに過ぎません。それによって、ヨーロッパ人はプラトンに回帰することができました。繰り返しますが、原点はプラトンです。

キリスト教を信仰するヨーロッパ人にとっては中世からの脱却は一大事でしたが、日本人にとってはデカルトは大した意味を持ちません。
ヨーロッパからの直輸入の考え方を尊ぶ有識者が幅を利かす点からも、「指導者教育の欠如」の記事でも書いたように「明治以降の知識人は一体ナニ人だろう」と思います。

プラトンは、紀元前5世紀の人です。
同時代の釈迦が仏教文明、孔子が儒教文明の礎をそれぞれ築いたのと同じく、プラトンが近代文明の基礎を築きました。


【数学思考を使った世界の解明】
世界を解明する手法は様々にあります。神話的な解明、直感知による解明など。科学は、世界の数学的思考による解明手法です。

なお、余談になりますが、日本には、古事記という神話的な解明、仏教という直感知による解明の遺産があることは頭の片隅に置いておいた方がいいでしょう。

話を戻します。

〈物理〉
この「数学的思考による世界の解明」という壮大な試みこそが近代文明の土台であり、その申し子が物理です。

物理は、科学の中の科学と言えるでしょう。

〈生物、地学〉
世界の解明ですから、科学の対象は、物理のアプローチでは解明が難しい生物、地球・天体へも広がります。

そして、こうした対象を研究する手法として、分類、対照実験、計測、物理法則の適用などのアプローチ手法が試行錯誤を繰り返して開発されていったことにより、ギリシャ時代よりも研究が急速に深まりました。

分類、対照実験、計測も、その基盤は数学的思考ですし、道具として数学を使うことも多いです。例えば、計測に際しての三角関数など。

〈化学〉
一方、化学(ケミストリー)は錬金術(アルケミー(=アラブ語))を源に持ちます。これも古代ギリシャに起源を持ち、中世ヨーロッパにはイスラム圏からもたらされました。
こちらの方は実学的な要素が強いです。化学反応によって新たな物質が作り出されるのです。ただ、学問として確立していく過程で、分類のアプローチで研究が進み、元素が発見・整理されていきます。化学式など数学的思考の産物です。

〈化学→生物、地学〉
化学に関する知見が蓄積されると、今度は、これを生物、地球・天体の解明に役立てるアプローチが開発されます。

例えば、生物では、人体内で行われている化学反応が解明され、その触媒として酵素(有機化合物)が発見されます。さらにDNAの化学的な研究によって酵素が、4つの塩基の組合せであるDNAを設計図として作られることも解明されました。
地球・天体に関しては、その物質的な組成(例えば岩石、海水、空気の物質的組成)が解明されていきました。

主として物性を扱う化学は、実学的な長所を持ちつつ、蓄積された様々な知見を数学的思考で整理することで、案外広範な科学分野に寄与しました。

【科学は、プラトン文明】
こうして、現代科学の礎が構築されていきました。その原点はプラトンの「イデア論」であり、科学的な素養を身につけるには、「イデア論」と数学的思考を理解するのが近道です。

難しく聞こえるかも知れませんが、「イデア論」は発想がシンプルなので、中学レベルの知能で理解可能です。

「現実界」における物の運動、生き物、大地、大気、海、化学反応などから、「数学的思考」を用いて、「イデア世界」におけるこれらを探り当てるのが科学です。発見された公理、法則などが「イデア」の代表と言えるでしょう。
例えば、「惑星は太陽を焦点の一つとする楕円軌道を描く」などです。

つまり、科学とは「イデア」の探求です。プラトン文明です。

なお、ここで「数学的思考」というのは、受験数学のようなあたら技巧的な難問を解くことではありません。数学とは一種のパズルです。(江戸時代の日本では、和算というパズルが流行しています。それゆえ科学的な思考が発達し、これが明治の文明開化の土台となったと考えられます。現代の数学教育で、和算的な匂いがするのは、私の知る限り、宮本算数教室と東京出版(「高校への数学」等)だけです。せっかくの先人の文化があるのに、もったいないことをしています。)


〈量子論〉
科学的な研究が進むにつれ、様々なことが解明されていきましたが、20世紀に入ってから激変が起こります。量子論の出現です。

専門家ではないので私の理解によるあやふやな解釈で申し訳ありませんが、それまでの科学が物質は元素などの「粒」に還元できるという発想に立脚していたのに対し、量子論は、「波」の要素から森羅万象を解明しようとしているように思えます。
極論すれば、我々が「粒」と観念しているものは、「波」が3次元世界に現れた特異現象に過ぎないとでも言うべきでしょうか。

微小なレベルに行くほど、「粒」よりも「波」こそ「存在の本質」だと観念した方が、実験結果を説明しやすいというのが量子論的なアプローチだと理解しています。

ただ、これは科学の「知見」の大激変ではあっても、「イデア論」という認識方法は健在と言えるでしょう。
人類は、それまで何の根拠もなく勝手に「粒」の集合が物質という仮定に立脚していただけです。「微小レベルでの本質は「波」」というように、人間の知り得た「イデア」の内容が書き換えられるだけです。

他にも、「観察者の意識が観察対象に影響を与える」ことも分かり、科学におけるアプローチの方法を模索する必要性も生じました。しかし、これも「手法」に関することで、「イデア(真理)を見つけ出そう」という科学の基盤が変わったわけではありません。


【理科教育への提言】
〈プラトン〉
プラトンのイデア論は科学的な素養の根幹であるわけですから、理科を教える際には、併せて
●簡単に、プラトンの「イデア論」
も教えるべきだろうと思います。

先述の通り、「イデア論」は極めてシンプルな発想に基づいていますので、中学生にも理解できます。


〈科学史〉
また、
●ギリシャからの大まかな「科学史」
を教えるのも有意義だろうと思います。

今の学校で教えているような、科学の発達史を無視して結果だけ教え、テストでマルバツを付けるのは、賢明な理科教育ではないだろうと思います。

「科学的知見」と「それを発見した研究・苦労」は裏腹です。

人類が発見しているのは「イデア」の一部です。人類が発見しなくても「イデア」は存在し、そのうち発見したものが「科学的な知見」となっているということです。

ニュートン曰く、「私は、海辺で遊んでいる少年のようである。ときおり、普通のものよりもなめらかな小石やかわいい貝殻を見つけて夢中になっている。真理の大海は、すべてが未発見のまま、目の前に広がっているというのに。」

「科学的な知見」だけを教える今の教育方法は、「既に発見された小石や貝殻」について教えているに過ぎません。これでは、科学は劣化するばかりで、「真理の大海」に目が行くことはないでしょう。


今の科学的な知見が蓄積されるには、先人の気の遠くなるほどの失敗と苦労、工夫が積み重なっているわけです。成功は氷山の一角に過ぎません。
中学2年生くらいに一学期くらいかけて、それをこそ教えるべきだろうと思います。

どういうアプローチをすれば科学的探求が深まったのか、失敗と成功の境目を知ることこそが科学的な素養を身につけることに役立つだろうと思います。

(注)そのためには、理科の先生が教えられる平易で良質の教材が必要ですが、日本にたくさんいるノーベル賞級の科学者の監修の下、若手科学者などで作成できるでしょう。


それが、結果的には、我が国が優れた理工系人材を輩出する土台となるだろうと思います。
また、理工系のみならず、「失敗を重ねても前に進もう」という頼もしい人材を育てることになるでしょう。

科学は人間から乖離したものと捉えられがちですが、科学の裏側には必ず人間がいることを多くの国民が基本的素養として認識することは社会を豊かにすると思います。


〈現代における科学の活用〉
「プラトン」や「科学史」の他には、中高生の進路選択の参考になるように、
●化学、生物、地学、物理が現代どう活用されているか
も併せて分かりやすく教えると、科学の素養が具体的にイメージしやすく、尚良いのではないかと思います。

例えば、
・化学の研究によって、プラスチック、合成繊維、ゴム、樹脂、薬品などが作られる。
・生物の研究によって、動物の生態、人間の病気と健康、生態系・環境などの知見が蓄積される。
・地学の研究によって、地球の成り立ちが分かり、地震や火山の知見も蓄積される。
・物理の研究によって、電気や電波、飛行機、宇宙飛行などの知見が蓄積される。
などなどです。

近代社会の基盤として、科学的な素養が必要であることを身近に感じることができるのではないかと思います。


【おわりに】
日本は、明治の文明開化で、「欧米に追いつき追い越せ」を国是としてきました。そのため、知識を増やす教育を重視してきました。しかし、その教育を真似た新興国に地位を脅かされつつあります。

一方、知識を増やしても知恵を深める教育は置き去りになってきたように思えてなりません。
外交、国防、通商で波が襲っている中でのメディアや国会での議論を見るにつけ、日本の前途に赤信号がともっていると感じるのは、私だけじゃないと思います。

知恵を深めるには、知恵のある先人のことを学ぶのが最善の道だと思います。

文科省に知恵がないから、これまで知恵を深める教育は、NHKを始めとした非教育機関や民間団体が担ってきました。ただし、大手の塾や予備校は、例外的に素晴らしい教師(竹内睦泰氏や茂木誠氏)もいますが、基本は知識偏重でロクなもんじゃありません。

NHKだけでも、「100分de名著」、「プロジェクトX」、「プロフェッショナル」、「10minits box」、サイエンスものも含む「NHKスペシャル」、「サイエンスゼロ」など、実に様々な良質のコンテンツを世の中に送り出しています。

いずれもクオリティが高く、また映像も作り込まれていて見応えがあります。これらの番組が日本人の知恵の深化にもたらす効果は、とても大きなものがあると思います。


ちなみに、保守論客の中に「NHKを潰せ!」「受信料を払うな!」というバカげた意見があります。
NHKのコンテンツを愛する私のような一視聴者からは、ほんとに知恵が浅い意見だと憤慨します。一部の報道に偏向があるからといって全部を否定するのはアホです。

こういうアホな意見には一言反論しておかなければならないと思いますので、もうしばし脱線します。

NHKは、偏向報道の何十倍もの良質な報道もしています。
例えば、北朝鮮労働党の39号室についてのNHKスペシャルなど、「諜報機関なき日本においてよくここまで取材したなぁ」と感心します。
また、イスラム教がクローズアップされるより遥か前に、イスラム教についての素晴らしい特集をしています。私は、その番組でイスラム教の福祉的な教えを知りましたし、アメリカでイスラム教への改宗者(移民ではない)が増えていることを知りました。

国民の多くが視聴する番組でこういうことをやってくれるのは、とても有益だと思います。教育の次に効果があるのは、NHKだと思います。
NHKがなく、知恵のない教育者たちによる教育だけだと、日本人の知的レベルはどうなることか。確実に国力が落ちると思います。

「NHKを潰せ!」「受信料を払うな!」と言っている保守論客は、その責任を取れるのでしょうか。無責任過ぎます。
保守論客がこういう無責任なことを言えば、保守がキワモノ扱いされてしまうだけです。


「おわりに」と言いつつも、つい熱くなって脱線してしまいました。


そろそろNHKの心あるスタッフに任せるだけでなく、教育の世界でも、こういう知恵を深めるコンテンツを模索すべきだと思います。

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