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zoom RSS 紀元節に思う ー戦前没落の原因(「尊皇」の欠如)

<<   作成日時 : 2018/02/11 23:42   >>

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「戦前は天皇中心の国家だった」なんて通説は嘘です。明治国家と1930年代以降の昭和ファッショ国家は全く違います。なお、そこに至る兆候は1920年代の思想潮流に胚胎していました。

全体主義国家では、もはや天皇の「大御心」を権力者が自分たちの都合のいいように捻じ曲げることが優先されました。

「尊皇」だった幕末維新の志士と違い、戦前社会を作ったエリートたちは、欧米の思想哲学にばかり慣れ親しんで、口先ばかり「尊皇」と言いながら、その実、本心では「天皇を利用」して己が権力を強めんとしました。
しかも、統制派や革新派の内心は日本の共産化です。つまり、最終的には天皇制打倒であり、詐術です。

(注)思想界を欧米の思想から日本的な思想に取り戻す西田幾多郎氏らの京都学派の活躍が主流化していれば、もっと違った展開を見せていたかも知れません。


これが、戦前、大日本帝国が没落した究極の原因ではないかという気がします。日本では、天皇への敵対は没落を招きます。

当然、こうしたオカルト的に聞こえる説はアカデミックな世界では無視されますが、「日本の歴史」という文脈で論ずる余地はあると思います。帰納法的には、なんとなく導き出せるものです。

畏れ多くも天皇を利用した上に天皇を不要にする全体主義国家を構想するとは、天皇及び日本国と敵対することと同じです。

(注)天皇から皇位を簒奪しようとした蘇我氏や足利義満は急速に没落し、利用しながらも天皇を支えた藤原家は繁栄しました。

小沢一郎が没落したのと、戦前日本が没落したのは同じ原理です。神代から続く日本国には不思議な法則が見え隠れします(http://s.webry.info/sp/66575033.at.webry.info/201607/article_1.html)。

軍国主義者たちは、「天皇の統帥大権」と声高に叫んで政敵をなぎ倒しながら、「大御心」を解しませんでした。裏では違うことをしていました。

昭和天皇は「満洲なんて張学良にくれてしまえ」とおっしゃっていたのに、軍内部には、敢えて戦線を拡大して国内で革命を起こそうとした革新勢力が根強くいました。彼らにとっては戦争は共産化の道具です。

「大御心」を喜ばせようとはしませんでした。むしろ「大御心」を心配させるようなことばかりしていました。

要は、当時の軍首脳は詐術師です。
天皇への「詐」が国を覆ったのが、戦前の政界です。天皇への「誠」は封印され置き去りでした。

目に見えぬ 神にむかひて はぢざるは
人の心の まことなりけり(明治天皇御製)

天皇への忠誠に関しては、神に恥じることばかりだったのではないでしょうか。


本当の指導者がいれば、吉田松陰のように「国体論」は「尊皇」に辿り着き、知行合一ですから天皇に忠誠を誓うことになります。
「尊皇」は潔き道です。私利私欲を入れません。

奥山真司氏の「戦略の階層」で言えば、戦略・戦術ピラミッドの頂点である「世界観(国家観)」を日本人としては珍しくきちんと持っていているということです。「天皇を尊敬するのが日本の国体」という国家観です。

戦後総理になった吉田茂も、戦中は命懸けで反戦活動をしており、憲兵から「ヨハンセン」(吉田反戦)というコードネームでマークされていました。近衛文麿は、近衛上奏文の前に吉田に相談しています。上奏文の骨格は、@陸軍内の共産主義者が日本を戦争に導いた、A戦争を長引かせて共産革命を起こそうとしている、とする内容は殆ど正しいです。
彼の反戦活動と「大御心」は関係あるのではないかと思います。また、吉田は、主権回復後は皇學館大学を再興したことに現れているように、敬神で「尊皇」の人です。


話は戻りますが、幕末を含めて江戸期の人は、大真面目に天皇の神秘性とか敬神などを論じました。

初期の朱子学者である山崎闇斎は、神道で朱子学を補強しようとし、自ら神道を学びます。孔子や孟子が攻めてきたら、天皇の側に立って、孔孟と敵対するのが正しいと教えています。

兵学者は「大星伝」といって究極の兵法は天皇を戴くことだと神秘的な主張をします。日本神話で神武天皇が日神の子孫なのに日に向かって戦うのは負ける原因だとおっしゃったのを論拠とします。大星とは「一人日生」で天照大神と天皇のことです。

尊皇の水戸学は、幕末維新の志士に多大な影響を与えました。吉田松陰は、水戸の会沢正志斎に会って後、古事記、日本書紀を研究しています。

幕末の志士が学んだ「国学」は、神々の存在と日本の神代からの継続性を大前提にしています。

西洋にかぶれていないこうした思想こそ、明治時代の「和魂」を支えたと感じます。


律令制を導入した時代も「和魂漢才」ですが、この時に天武天皇が後世に残した偉大な事業が「古事記」編纂であり、そうした遺志を継承して「万葉集」も編纂されます。

神代からの連続性を正史に残し、「日本はシナやコリアとは違う文明原理を大切にする国だ」ということをハッキリさせました。
これは、聖徳太子の対シナ対等外交と同じ世界観であり、天武天皇の和魂プロジェクトは、千年単位で日本に良い影響を与えた偉業と言うべきです。

「国学」とは、古事記、万葉集を研究する学問です。「国家観」や「人生観」の土台を模索する作業です。

古事記と万葉集を読めば、日本文明の持つ独創性に誇りを持てます。

例えば、イザナミ、イザナミの夫婦神は協力して「国生み」という大作業をしました。日本の国土は夫婦神が生んだ神という思想です。また、男尊女卑ではなく、「夫唱婦随」で相互に協力しています。

天照大神は自らスサノオを疑ったことを悔悟して「岩戸」に隠れられる誠実さをお持ちでした。
一種のノイローゼですが、高天原の神々は踊りや笑いで天照大神を岩戸から出します。心が閉ざされれば、体を動かしたり笑ったりすれば晴れてくるという教訓です。伊勢には「笑門」の〆縄があります。

そのスサノオはヤマタノオロチ退治で獲得した天叢雲剣を天照大神に献上しました。スサノオの天照大神への「忠誠心」です。

スサノオの子孫で正直な大国主命は苦労して開拓をしました。その国は荒ぶる神々が静まらず、それゆえ「天孫降臨」が行われ、やがて天皇がシラス国となりました。これが日本の国体の特殊性です。

ヤマトタケル尊の東征は「言向け和す」という精神で殆どが平和的に行われました。これは、実際、3世紀半ばから前方後円墳が日本全国に急拡大していることと符合します。

神代や上古のことは、日本人的な感性を研ぎ澄ませば腹落ちすることも多いと思います。逆に、国学的に古事記や万葉集を読むことで、日本人の感性が研ぎ澄まされます。


現代では、竹田恒泰氏や、ねずさんこと小名木善行氏などが「古事記」の解説本を書き、神代や上古のことを日本人的な解釈で分かりやすく解説してくれています。

(注)古代史研究家の中には「しらす」や「言向け和す」という重要語句を知らず、古事記を外国読み(ウシハク統治)をする者も多く、天孫族が原住民を侵略し、虐殺したなどと勘違いをして「反天皇制」的な不埒な言説を流す者もいます。世の中には、そういう視点からの誤った古事記解説本もあるので注意が必要です。


「日本文明」に誇りを持った人々は、自ずと「天皇への尊崇の念」を抱きます。日本文明と天皇は密接不可分ですから。


戦前の「国体」論は、軍国主義を隅々まで浸透させる全体主義的なプロパガンダです。氏子のコミュニティを全体主義の末端組織として借用する不遜な意図が透けて見えます。
こういうのは日本的ではありません。素朴ではありません。日本を衰弱させるものです。

「尊皇」の精神は神道と密接な関係にあり、半ば宗教ですから、国家が宣伝するとロクなことになりません。古今東西、国教が上手くいった試しがありません。宗教は権力と結びつくと、上下問わず、必ず腐敗します。免罪符を売ってたカトリックが典型です。

「国家神道」も然りです。
神道は素朴な参拝などが尊いです。


戦前は、社会がおかしな方向に流れ始めても、すぐに専門家に任せてしまう日本の言論風土ゆえに、違和感を発信する人がいなかったのが過ちの元でした。


話は変わります。
戦後マスコミは「尊皇」を「開かれた皇室」で「天皇人気」にすり替えようとしていますが、「尊皇」とは個々の天皇によって異なるような「人気」では、断じてありません。

人気のない天皇は尊くないのか、そういう時は天皇制は廃止するのかを考えれば、「開かれた皇室」という考え方は、とても危険なものを胚胎していると感じます。
眞子内親王殿下の件も婚約前にメディアがスクープしていなければ、表に出ずに婚約に至らない状態になっていたと愚考します。自分の周囲の人たちに関して、婚約前の交際など殆ど知りません。
それと比較すると皇室のことをそこまで知る必要があるのか疑問です。スクープ後は皇室のイメージを維持しながら婚約延期に持っていくのには、皇室関係者はとても苦慮されたのではないかと思います。皇室の方々にそんな苦慮を強いることは正しいこととは到底思えません。

「開かれた皇室」による「人気」では、無意識のうちに、共和制下の「大統領」に近い元首を志向しているように感じます。
しかし、歴史に裏打ちされた、また神代から継続する万世一系だからこそ、仮に表面上は暗愚に見えるお方が天皇になられても尊いのです。

楠木正成の示した忠誠は多くの人の心を打ちますが、あれが究極の「尊皇」です。楠木正成が命を懸けたのは「尊皇」という大義です。
何に命を燃焼させるか模索するのが青少年期ですから、道徳の副読本などで取り上げることはできないでしょうか。

他者のために、命を捨てる、私利私欲も捨てる、捨てた先に命の永遠性がある、という後世の葉隠に通じるものがあります。
私利私欲の対極にあるのが「尊皇」であり、私たちが自らを律する術にもなります。

戦後、日本人がずっと大切にしてきた「尊皇」すら教えられなくなったのは、戦前の全体主義者たちが、自らの権力のために、「国体」や「皇国史観」を喧伝した反動であり、気持ちの悪い下品な彼らの大罪です。
戦後は「教育勅語」や「修身」すら教えられなくなりました。とてもいいことを書いているのですが。。

ちなみに、明治国家の「修身」と、昭和ファッショ国家のそれは品格が段違いです。後者はラッパを握ったまま戦士した兵隊の話など軍国ものばかりです。前者は二宮尊徳に象徴される偉人伝です。後者は断罪すべきですが、前者は推奨すべきだと思います。


それにしても、明治以前に比べて、現代はなんと思想が貧弱なことでしょうか。。。日本文明に立脚しておらず、読むべき思想が皆無です。

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