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zoom RSS 上古史@(「神武東征」の意義)

<<   作成日時 : 2017/04/24 21:05   >>

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「神武東征」伝承を考究すれば、上古以来のこの国や戦後のこの国など様々なものが浮かび上がります。

【「神武東征」は史実】
戦後の歴史学は神話否定から入るので、古事記の考古学的考察が極めて貧弱です。
ヤマトタケル尊の遠征と前方後円墳の急拡大のように神話と考古学的な遺跡が相互補完することは多いです。
戦前の皇国史観は軍国主義をサポートする意図を感じるので馴染めませんが、戦後の神話の全否定は、それ以上に問題だと思います。

バカな歴史学者たちが後世の嗤い者になるようなどんな珍説を立てようが、日本の初代天皇は神武天皇です。

(注)例えば、江上波夫という東大教授は、神武天皇から何代もの天皇の存在を否定したばかりでなく、騎馬民族が天皇家になったという珍説を立てました。しかし、集団の墓制や死生観はそうそう変わるものではないものですが、騎馬民族渡来を裏付ける墳墓は九州から出土することはありませんでした。この一点からしても江上説は完全な妄想ですが、学会だけでなく歴史ファンからも持てはやされました。

以下、簡単に神武天皇の御即位までのストーリーを振り返ります。
◯父はニニギ尊の孫ウガヤフキアエズ尊、兄にイツセ尊やイナヒ尊がおられました。九州にいた天孫系豪族です。
◯ある時、シオツチ翁という長老に相談して東征を思い立ち、ウズヒコという海民を水先案内人にして、
◯豊前(大分)と筑紫(福岡)に1年間立ち寄った後、
◯安芸(広島)に7年間、
◯吉備(岡山)に8年間、それぞれ宮を構え、
◯その後、いったん河内湖方面に攻め入りますが、激戦の末、地の利あるナガスネヒコに敗北し、イツセ尊が深手を負い、撤退を余儀なくされます。
◯敗退後、戦死したイツセ尊を葬い、紀伊半島を南下して熊野に上陸しますが、荒ぶる国津神の化身である熊が出現して兵士が一気にヘナヘナになってしまいます。
しかし、天照大御神が下した霊剣の出現で全軍元気を取り戻し、さらにヤタガラス(加茂一族)の道案内で北上して、ついにナガスネヒコ軍を打ち負かして、橿原(大和盆地南部)に即位します。

これが「創作だ」と大歴史学者はそろいもそろってアホなことを言うのですが、仮に創作ならば「敗退」とか「兄の戦死」とか「士気喪失」など何のために入れたのでしょうか?
創作ならば、「天孫族は全戦全勝」というストーリーにするのが自然です。しかし、記紀には「敗退」など天皇家に不利なことが書かれています。

「神武東征」は「史実」と考えるのが良識でしょう。

と同時に、古代史マニアの常識となりつつある「記紀は天皇家に都合の悪いことは改竄した」という説は全くの誤りであると言えるでしょう。記紀には天皇家に都合の悪いことも結構書いているのです。
むしろ、「記紀は誤り」という言説こそ悪意あるデマと言えるでしょう。まるで、歴史を捏造するのが当たり前な、日本のリベサヨやどこかの国のようです。先人(記紀の編纂者)を、捏造史(改竄したというデマ)によって貶めるだけでなく、後述するように、その先には「天皇制」を否定しようという意図が見え隠れします。


【安芸と吉備】
記紀では、「神武東征」の安芸と吉備の活動がかなりあっさりしています。

例えば、古事記におけるこの下りのエッセンスは、
◯安芸に7年間
◯吉備に8年間
あとは、宮の名称などが記されるのみです。

そこで、「神武東征」があった弥生時代の歴史地図を広げてみます。

安芸は銅剣文化圏、吉備は銅鐸文化と銅剣文化の混在圏です。
(注)銅剣文化圏は九州が中心で、銅鐸文化圏は近畿と出雲が中心です。出雲は加茂岩倉遺跡から銅鐸が大量出土したことは押さえておくべきでしょう。

なお、吉備は瀬戸内海の地図を見れば見る程、海上交通の要衝であり、常に様々な勢力が吉備を得ようとしたがっていたことが分かります。

そう考えると、
◯安芸に7年間
は、イワレビコ尊(神武天皇即位前の御名)が、銅剣文化圏の東端に勢力を進めたということになります。

安芸での「7年間」の前半は足場固めで、後半は、銅鐸文化圏の西端の吉備への攻撃だったと考えるのが自然です。

四方を海で囲まれ、物流と言えば水運だった日本の場合は特に海や川の視点が重要です。
例えば、後述する加茂氏は、海と川を通じて日本全国に広まっていますし、上賀茂神社の神饌(神様のお食事)はほとんどが海産物で、海洋民族と言えるでしょう。

後世、日宋貿易を重視した平清盛が安芸の厳島神社を大切にしたのは有名な話です。安芸は、(吉備ほどでないにしろ)瀬戸内海航路の要衝です。
つまり、豊前と筑紫と安芸を押さえることにより、瀬戸内海航路の西の入口を押さえ、吉備以東の銅鐸勢力への物流を封鎖して弱らせる戦略が浮かび上がってきます。

この時代の天孫族は、とても戦略的です。

イワレビコ尊が安芸に滞在している時に、大和から「ヤタガラス」が飛来して悪人討伐に加勢したという伝承が、広島県呉市宮原に残っているそうです。
後に熊野からの道案内をした「ヤタガラス」が神武勢の傘下に入ったのは、遅くともこの時期だと考えられます。

「ヤタガラス」はもちろん烏ではなく、カモタケツヌミ命という名前で加茂一族です(新撰姓氏録)。京の由緒正しい勅祭社・下鴨神社に祀られています。

ここで「加茂氏」が神武勢についたのは驚きです。

銅鐸が出土するのは、加茂や三輪という地名のついた土地が多く、加茂氏は、おそらく銅鐸を使った祭祀を司る一族だったと考えられます。「加茂」岩倉遺跡の銅鐸39個は国内ダントツです。普通は1個か2個です。
後述する出雲系王朝の祭祀を握っていた可能性があります。

その加茂一族が九州勢についたのです。

これで、銅鐸祭祀をしていた出雲系の人心は九州勢の受容へと大きく動いたと考えられます。神武東征における功績ナンバーワンというべきでしょう。
加茂氏の族長「ヤタガラス」が安芸で馳せ参じなければ、瀬戸内海を東進するのすら、もっと時間がかかり、双方で、もっと多くの犠牲が出たと思われます。

(注)それまでの「聞く銅鐸」から「見る銅鐸」への変化や巨大化は、加茂氏が抜けたことの影響かもしれません。

「ヤタガラス」がイワレビコ尊に加勢したのは、単純に東征の意義を正しく「悪人討伐(鬼退治)」だと分かっていたからでしょう(桃太郎伝説も鳥の加勢があり、示唆的です。)。
逆に言えば、この当時、悪い豪族が大勢いて人々を苦しめていたということです。

神の子(上賀茂神社の御祭神)を身ごもったり、安倍清明の師匠を輩出する家系だけあって、加茂氏はさすが慧眼です。
この「悪人討伐(鬼退治)」については、古事記の精髄とも言うべき極めて重要な事柄ですので後述します。



瀬戸内海航路の西の出入口を押さえ、銅鐸祭祀を司る一族を味方につけたイワレビコ尊の勢力は吉備を平定し、吉備の統治を始めます。

更なる東征を続けるために、吉備統治は丁寧にする必要があります。

なぜなら、三つ理由があります。
◯まず、吉備を固めておかないと、近畿に入った時に吉備から背後を攻められ、畿内勢力と吉備勢力の双方から挟撃されるからです。

◯次に、吉備と讃岐に挟まれた海は大小様々な島があり、瀬戸内海の難所です。ここを押さえるというのは瀬戸内海の制海権を掌握するということです。

◯そして、吉備は出雲から畿内を結ぶ交通の要衝であり、この両勢力(銅鐸文化圏)の結合を断つ必要があります。

(注)その後も吉備は上古史の重要拠点として、何度も出てきます。

ですので、
◯吉備に8年間
吉備はやがて銅剣文化圏になります。天孫族の治める地になります。

ここに、九州東岸から瀬戸内海の大半をまとめた天孫族の一大勢力が出現します。

それ以前は、広域勢力としては、出雲から瀬戸内海東半、畿内をまとめた出雲系の一大勢力があり、ほっておくと、この出雲系勢力が天下を統一しそうな勢いだったと考えられます。

なぜ出雲系と断言するかと言えば、出雲の加茂岩倉から大量の銅鐸が集中して出土し、しかも、これらの銅鐸が近畿に分散出土する各個の銅鐸と一対一の対応関係があるからです。銅鐸文化圏の中心が出雲だったということになります。

「神武東征」の時代を遡ること三代と少し前、出雲のオホクニヌシ命は天孫族に「国譲り」をして、隠居します。
したがって、加茂岩倉の集中出土に見られる出雲の黄金期は「国譲り」より以前だと考えられます。

(注)その後、出雲系の政治の中心は畿内の大和盆地に移ったと考えられます。大国主命と大和盆地南部の三輪山の大物主神を同一視する記述が記紀には出てきます。


【天孫降臨・神武東征の意義】
ここで敗者に肩入れする古代史マニアは、「天孫族が出雲王朝を侵略した」とか、「天孫族は簒奪者だ」とか妙な幻想に取り憑かれる人が多いです。
彼らの主張は突き詰めれば、「反天皇制」で左翼と同じです。

しかし、日本は奥が深い国です。神意が反映する国です。「国譲り」と、それに続く「天孫降臨」には深い意義があり、それは今後の日本の使命(天命)と関係します。

(注)先述したように、軍国主義のバックボーンとして「皇国史観」が悪用されたことには注意が必要です。戦時下の御前会議は必ず「雨天」だった、戦争が天照大御神の御心にそぐわないということかと畏れたと、昭和天皇が述懐しておられることは記憶に留める必要があるでしょう。


(大祓祝詞)
「大祓祝詞(おおはらえののりと)」という古来の祝詞があります。今でも各神社で唱えられる最もポピュラーな祝詞です。ダントツで祝詞の代表です。
前半部分を読めば、「天孫降臨」の意義が明確に書かれています。

「高天(たかま)の原(はら)に 神留(かむづ)まります皇(すめら)が睦(むつ) 神漏岐(かむろぎ)・神漏美(かむろみ)の命以(みことも)ちて
八百万(やほよろづ)の神等(かみたち)を 神集(かむつど)へに集(つど)へ給(たま)ひ
神議(かむはか)りに議(はか)り給(たま)ひて
我(あ)が 皇御孫(すめみま)の命(みこと)は 豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みづほ)の国(くに)を
安国(やすくに)と 平(たひ)らけく 領(し)ろし召(め)せと 言依(ことよ)さし奉(まつ)りき。

斯(か)く依(よ)さし奉(まつ)りし国内(くぬち)に 荒(あら)ぶる神(かみ)たちをば
神問(かむと)はしに問(と)はし給(たま)ひ 神掃(かむはら)ひに掃(はら)ひ給(たま)ひて
言問(ことと)ひし磐根(いはね)・樹根立(きねた)ち 草(くさ)の片葉(かきは)をも言止(ことや)めて
天(あめ)の磐座放(いはくらはな)ち 天(あめ)の八重雲(やへぐも)を 厳(いづ)の道分(ちわ)きに道分(ちわ)きて
天降(あまくだ)し依(よ)さし奉(まつ)りき。
斯(か)く依(よ)さし奉(まつ)りし四方(よも)の国中(くになか)と
大倭日高見(おほやまとひだかみ)の国(くに)を 安国(やすくに)と 定(さだ)め奉(まつ)りて
・・・」


最初に書かれているのは、神々が集まって、その長老であるカムロギ、カムロミの発議で、天孫を日本列島に降臨させることを決める下りです。これは古事記の「天孫降臨」と基本的に同じです。

そして、「天孫降臨」や「神武東征」前の日本列島を物語るのが続く箇所です。
それまでは、「荒ぶる神々」がいたのです。この「荒ぶる神々」というのは魔物で、人に道を踏み外させ不幸にする霊的存在です。あらゆる新興宗教の背後にいる、様々な邪霊です。

この邪霊を祓うことにこそ「天孫降臨」の重大な意義があります。人間が道を踏み外さず、真っ当に生きるために、高天原から天孫が降臨したというのが、神話の精髄です。

その結果、霊的な騒がしさが収束していきます。
(注)魔物は勢いを削がれたのであり、消滅したわけではない点、留意する必要があります。

そして、「天孫降臨」によって日本は「安国」となります。


以上、オカルトっぽく感じるかもしれませんが、神社での清々しい空気をイメージするとよいのではないかと思います。あれが祓われた後です。
逆に、禍々しい「荒ぶる神々」は、暴力団や街宣右翼、日本赤軍、オウムなどをイメージすればいいと思います。


これが物語るのは、出雲系王朝では、暴力団やらオウムのような魔物に憑かれた悪道が多く、大半の人々が幸福ではなかったということです。その悪道の親玉がナガスネヒコです。
大国主命は聖人君子だったかもしれませんが、その子孫の時となると全然だめで、出雲系王朝の治安は最悪だったのでしょう。

神武天皇が橿原で即位された時の「八紘為宇の詔」では、「あまつ神の みいきおいを かがふりて、凶徒ころされぬ。辺土未だ清まらず、のこりの妖 なほこわしといへども、なかつくに(中州土)またさわぎなし。」とあり、上記を裏付けています。

「凶徒(暴力団、日本赤軍、オウムのような非道連中)」や、その背後にいる「妖(邪霊)」を成敗するのが東征の目的で、天神の威力を背景にして祓え清めたということです。
「神武東征」を単に九州勢の版図拡大だと考えると、神話の意図を全く読み誤ります。

(武田洋一という運動家)
以下、少し脱線します。
古史古伝と総称される偽書群では、神武天皇の前にウガヤフキアエズ王朝なるものがあって、神武天皇はその何十何代目の天皇で、大地震があってナガスネヒコが反乱を起こしたのを神武天皇が鎮圧したという奇妙なストーリーを創作しています。

表面的には神武◯、ナガスネ×ですが、
◯家系が継続しているのに王朝交代をする理由が不明です。
◯また、「天孫降臨」や「神武東征」の意義を消滅させようという悪意を感じます。
◯さらには、出雲王朝を日本国の始まりに位置付けているものも多く、こうした偽書は原住民vs天孫族という構図の中で天孫族を侵略者として描いており、「反天皇制」の刷り込み意図がベースにあると考えられます。

「出雲族が虐げられた」という歴史観は、虐げた天孫族の代表である天皇の正統性に疑問を投げかけるものです。

一方、春日大社元宮司の葉室頼昭氏は、
◯天皇は宮中で出雲の神々を含めて全国の神々を祭祀しておられる
◯元首がそのような共生の知恵を持った国(文明)は、世界広しといえども日本だけ
と書いておられます。上古のどこかで日本は統一する必要があったわけですが、そのプロセスにこそ知恵が溢れているとおっしゃっているのです。さすが、慧眼です。

原田実氏らによる「日本史が危ない」という本によれば、こうした古史古伝の偽書を戦後に再発掘したのは、八幡書店を立ち上げた武田洋一という人物で、彼は学生時代に全共闘の失敗を見て社会主義に限界があると悟り、霊的ボルシェビキ運動という奇妙な運動を思い立ち、偽書やオカルトを広めるということをやったそうです。
1980年頃からの雑誌ムーやトワイライトゾーンといったオカルト業界に中核的に関与し、雑誌ムーを通じて、オウムの麻原彰晃にも多大な影響を与えたそうです。

時折、おそるおそる書店で雑誌ムーを手に取るのですが、やはり記事や広告にはとても禍々しいものを感じて、とても読んだり買ったりする気は起こりません。特に、広告にある水晶だの何だのというのには邪悪なオーラしか感じません。

1980年代は、左翼運動は「近現代史捏造」モードに入っており、それと軌を一にするかのように、古代史も捏造モードに入ったかのようです。それは、神話を完全否定した戦後の歴史学が生んだ奇形児とも言えるでしょう。なぜなら、真っ当な知的好奇心に応えることができなかった結果、いびつな歴史が一部のマニアに支持されることになるわけですから。

続く90年代、前者は特定アジア諸国との「歴史戦」に道を開き、後者はオウム真理教のテロへと繋がっていきます。いずれも東大・京大のエリートの一部を反日又は反体制の運動家に育てることに成功したわけです。
それなりに有能な人材が発展の足を引っ張るわけですから、国家の発展が阻害されます。

古代史捏造について、先述の「と学会」の原田実氏のような動きは、「近現代史捏造」に対する保守論壇と同様、尊いと思います。オウム事件が起こった背景を知ることができます。



(「しらす」と「うしはく」)
「国譲り」神話では、「天孫降臨」の意義を述べています。(これは有名ブロガーのねずさんがわかりやく説明していますので、興味のある方は調べてみて下さい。)

「汝がうしはける葦原中国は、我が御子のしらす国」

「うしはく」は、主人(うし)が剣を腰にはくように、被支配民を私物化するという意味で、大陸国家の支配形態と同じです。民衆は一種の奴隷です。極端な話、昔の李氏朝鮮や今の北コリアやチャイナを想像すればいいでしょう。
霊的には、魔物が「弱肉強食」を支援するイメージです。

上古日本で出雲王朝が続いて、「国譲り」「天孫降臨」や「神武東征」がなければ、日本もチャイナやコリアのようになったかもしれません。「万世一系」の誇るべき天皇制など存在せず、易姓革命が起こるたびに嘘で嘘を塗り固めて民族の道徳心が劣化していくような社会です。


これに対して、「しらす」は、弱者に寄り添うという統治です。災害時に被災者を同じ目線で慰めておられる今上陛下と皇后陛下こそ、天皇の「しらす」の典型です。
これは、天孫の家系だからこそ可能になるもので、常人にできることではありません。


以上を踏まえると、日本はあわやのところで、大陸的な「うしはく」ではなく、今に連なる「しらす」の統治への道を歩み始めたことになります。出雲王朝は続いてはならなかったのです。

「天孫降臨」と「神武東征」によって、日本は「万世一系の天皇制」が維持され、道徳心の高い文明が継承されました。
出雲王朝は存在していた可能性は高いと思いますが、それは「天皇のしらす国」とは程遠い国家であり、やはり「日本」の建国は神武天皇の即位の時であると考えるのが正解だと思います。出雲王朝は、「日本」ではなく「出雲」です。

(注)梅原猛は「葬られた王朝」という出雲王朝を持ち上げる本を書きましたが、そもそも梅原氏はアンチ本居宣長であるので、さもありなんという気がします。本居宣長については、少し後述します。


つまり、「神武東征 」の成否は、単に建国云々ではなく、世界史的な視点で見た時、独特の「日本文明」を継承する場を創り出すという意味で、非常に重要な事件だったのです。

イワレビコ尊が成敗した豪族は、「うしはく」統治で民衆を苦しめていた連中だったと推察されます。

神武天皇とは、後世の諡(おくりな)であり、即位後の御名は「ハツクニシラス スメラミコト」でした。「しらす」が御名に入っていることは意義深いです。ここに「神武東征」の目的と意義がハッキリと込められています。
また、神武天皇の即位の日が「紀元節(建国記念の日)」ですが、この日は荒ぶる神々が祓われて世界一の「安国」となったことに感謝したいものです。

(注)なお、第10代の崇神天皇も御名も「ハツクニシラス スメラミコト」であり、第2代〜第8代の歴史が殆ど系図しかないのと相まって、神武天皇は創作だとか、神武天皇=崇神天皇というトンデモ説を学者が平気で唱えたりしますが、なぜ同じ御名の天皇がいてはいけないのでしょうか。歌舞伎役者など同じ名前だらけです。


【日本とチャイナの歴史観は初めから真逆】
天孫族の発想が、チャイナ的な「うしはく」とは真逆である証拠こそ、「国譲り」の前の出雲神話(大国主神話)です。

そこでは、天孫に「国譲り」をする前の大国主命は正直で心優しく、また数々の試練に耐えて鍛えられた立派な人物として描かれています。これほどの人物はいないというくらいの描き方です。

チャイナの史書では、夏王朝の最後の桀王は悪逆非道な暴君として描かれ、その桀王を倒して殷王朝を建国した湯王は聖人君子として描かれています。また、その殷王朝の最後の紂王も同じく暴君と描かれ、それを倒した周王朝の創始者は聖人君子として描かれます。

これと比較した時、「天孫降臨」の歴史観は発想が全く異なることに気づくでしょう。

前の王朝を悪し様に捏造するのがチャイナ文明の歴史の描き方の特徴です。
本居宣長は、「玉くしげ」の中で、チャイナの聖人君子は人の国を簒奪しようとして周囲を懐柔した悪人であることや彼らの歴史捏造癖を喝破しています。
歴史捏造は、今の統治者の悪政への批判を緩和させる効果もあります。「前の王朝は酷かったんだぞ、それを倒してやったんだから批判する恩知らずは弾圧する」と言って「うしはく」のが本音です。
だから、前の王朝をいかに悪し様に描くかが重要なのです。

一方、日本の場合、記紀では、出雲王朝の大王を理想的に描いています。とてもフェアな姿勢です。おそらく、天皇家が自らを戒めるためと、「御霊(みたま)安かれ」という信仰が背景にあるのだろうと思います。
死体に鞭打つのがチャイナ文明であり、逆に死者には感謝を捧げるのが日本文明です。
歴史の扱い方と同様、死者の魂の扱い方も真逆です。
こうした違いも、日本が「安国」であるのに対し、チャイナが荒ぶる神々がざわめく大地である違いを作り出していると思われます。浮かばれない怨霊がたくさんいる大地です。

古事記が物語るのは、チャイナとは全く次元の違う歴史観で、
◯どんな理想的な人物(オホクニヌシ命)が統治しても、天皇の統治には劣る
という歴史観です。これが日本の「国体」と渾然一体となった日本的な歴史観です。天皇は「別格」ということです。

【出雲王朝→天孫降臨・神武東征の必然】
この出雲王朝も天孫と無関係ではありませんでした。

元はと言えば、アマテラスオホミカミの弟スサノオ尊が高天原を追放になって、出雲に天下り、そこで邪悪なヤマタノオロチの被害に遭って途方に暮れていた原住民を救ったのが、出雲王朝の始まりとされています。
つまり、王朝の創始者は天弟です。

出雲王朝はスサノオ尊の系統であるのに対し、天照大御神はスサノオ尊の姉であり、またヤマタノオロチ退治で得た天叢雲の剣(後の草薙の剣(三種の神器の一))を天照大御神に献上します。
ここに既に、高天原と出雲王朝の上下関係は明確になっています。

しかし、「天孫降臨」はこうした人間界的な屁理屈を超越していて、もっともっと深いです。


スサノオ尊の何代か後に、天弟スサノオ尊の家系に大国主命が生まれ、この好青年が様々な試練を乗り越えて立派な大人物になり、君主になった後は、タカミムスビ神の子孫スクナヒコナ神をブレーンにして、国土を開発して農業を振興し、さらに医療も発展させたという物語になっています。
つまり、大国主命は人物的にも、業績的にも、全く申し分のない理想的な君主です。
古事記の読者の殆どは、なぜ大国主命は「国譲り」をしなければならなかったのか、と疑問に感じるでしょう。

大国主命は、いわばチャイナ風の「聖人君子」の姿です。
しかし、前述のとおり、天津神によってこのチャイナ風の「聖人君子」の統治はアッサリ否定されます。「天孫が統べないといけない」という、一見乱暴な理由です。

大国主命のこれまでの苦労は何だったのか。天孫は簒奪者なのか。天孫というだけの理由で簒奪が許されるのか。
実際、「国譲り」神話でも、高天原から出雲王朝に派遣された使者は、悉く出雲側に懐柔されてしまいます。使者自身が疑問を持ち、大国主命の大人物さに惚れたのでしょう。

しかし、神話はそんな単純なものではありません。
チャイナ風の歴史観で見れば、大国主命の「国譲り」はあり得ないのですが、古事記では実現してしまいます。

そもそも大国主命は、スサノオ尊に会いに根の堅洲国にまで行って、その厳しい試練を乗り越えてお墨付きを得た大霊能力者です。
それだけに、長い時間を経て、彼自身は天孫に「国譲り」をする必然性をほぼ理解できたでしょう。
統治すれども「さばえなす」状態を如何にすべきかを当時の人間で最も悩んでいたのが、大国主命ですから。

ここに、戦後の一部の歴史マニアがとらわれたような、天孫族による原住民王朝の簒奪という低レベルな論理は通用しません。今に至るまで日本人が深い恩恵をこうむってきた深遠な霊的真実があるとしか、私には考えられません。

その霊的真実とは、以下のようなことと推察します。
スサノオ尊は冥界の神であり、邪霊を武力で退治することは可能ですが、生者の神ではありません。
地球の生者の神は太陽神である天照大御神です。あらゆる生命を支える植物を育むのは太陽です。

このことは、本居宣長の和歌
◯たなつもの ももの木草も 天照す 日の大神の 恵み得てこそ
に、端的に示されています。

また、古今東西問わず、邪霊は夜に活動し、昼には活動が鈍るか滅びると言われます。古事記でも、天照大御神が天の岩戸に隠れられた時には、サバエなす状態、つまり邪霊が騒がしい状態だったと記されています。

太陽神の子孫である天孫族が出てこないと、出雲王朝の統治下で騒がしい邪霊を鎮めることができなかったのだろうと考えられます。
聡明な大国主命は、そのことを深く洞察し、最終的に「国譲り」に応じたのだと考えられます。天孫族側は、当時の列島最大の建造物である出雲大社を建立するとともに、大国主命の偉大さと業績を神話に遺しました。さらに、歴代の天皇が出雲の神々を祀るということまでしました。

現世的には、これによって出雲王朝は終わりを告げ、出雲は列島の政治中心ではなくなりました。ただ、神武東征、さらにはヤマトタケル尊の遠征によって列島の殆どが統一されるまでは、サバエなす状態は暫く放置されることになります。

なお、考古学的には、加茂岩倉に39個もの銅鐸が集中するのが大国主命の最盛期、荒神谷に銅剣約360個が集められるのが「国譲り」ではないかと思います。出雲王朝の武装解除です。

【富氏専横政権(民主党政権みたいなもん)】
これによって、「国譲り」の真義を理解できない出雲王朝の残党が各地に分散することになり、やがて大和盆地の三輪山周辺が、その一大拠点に成長していくことになったと考えられます。この勢力で権勢を振るったのがナガスネヒコです。
一説では、「トミのナガスネヒコ」の「トミ(富)」とは、出雲系の氏族名と言われています。半島の「金」にも通じる下品な氏族名に少し驚いてしまいます。
ナガスネヒコは富と権力への執着が激しかったのでしょう。そうした利己的な執着がサバエなす状態を増幅させることに気づくような人物ではなさそうです。

しかし、加茂一族は真っ先にそんな富氏を見限り、天孫族側に加勢します。また、イワレビコ尊が熊野から北上する途上で多くの部族が天孫族側に加勢します。そして、最後は大和盆地の決戦において、決定的なことが起こります。
それまで富氏はニギハヤヒ命という天孫族を呼称する人物を担いできたのですが、このニギハヤヒ命がさっさと富氏を見限ってイワレビコ尊の軍門に降りました。ここにナガスネヒコは大義を失います。

ナガスネヒコに人望があれば、こんなことは起こらなかったでしょうが、この戦況を見る限り、その権勢の崩壊を周囲から望まれるような、嫌な人物であったようです。

現代でいえば菅直人のような感じでしょうか。たしかに、北コリア工作員や日本赤軍と深い関係があると噂される悪玉の菅直人のような人物がボスでは、サバエなす状態は増幅されるばかりだったでしょう。

現代でも、サバエなす半島勢力と密接なつながりを持ったあの政党の政権が仮に続いていたらと想像するだけでゾッとしますが、上古においても、神武東征が成功して本当に良かったと思います。

繰り返しになりますが、国譲り→天孫降臨→神武東征は、決して原住民からの権力簒奪のようなものではなく、とても深い意義があったと考えるのが妥当であろうと思います。


【オマケ】
神武天皇より数百年後、卑弥呼よりも少し後のヤマトタケル尊の時代は、大和朝廷の版図が急拡大します。

ちなみに、ヤマトタケル尊の時代は、考古学的には、前方後円墳が急激に日本全土に広まる古墳時代に比定できます。単に墳墓のスタイルが広まったのではなく、首長の埋葬方法という社会観や死生観の根幹に関わる「精神文化」が日本全土に広がったのです。


ヤマトタケル尊は「天皇の霊威(みたまのふゆ)」のおかげで遠征に成功したと言っています。天皇は天津神の霊的な威力を背景としておられ、その威力によって参らせることができたというくらいの意味かと思われます。
また、関連して、大陸国家のような軍事力のみで押さえつける手法ではなく、「言向け和す(ことむけやわす)」という方法を基本にして、大抵の場合は平和的に傘下に入れ、悪辣な者に対しては(神々に代わって)成敗するという手法で、大和朝廷を拡大していきました。
「うしはく」ではなく「しらす」です。

こう書くと9条信者が喜びそうですが、「軍事力を持たない」という発想とは全く違います。神武天皇もヤマトタケル尊もいざという時に軍事力を行使しています。軍事力を放棄していません。

北コリアやチャイナ、あるいは日本赤軍のような邪悪な者がいますから、それを打ち破るための軍事力は必要です。でなければ、弱者を守れませんし、サバエなす勢力は増長して一般民衆を苦しめ続けるでしょう。
神話に即せば、三種の神器には「霊剣」が含まれます。「しらす」の統治には、「軍事力」や果断さも重要だということです。




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巳蛙
2017/04/26 08:07

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上古史@(「神武東征」の意義) 大祓の国/BIGLOBEウェブリブログ
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