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zoom RSS 「歴史観」の大切さ

<<   作成日時 : 2017/04/03 22:28   >>

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【コリアンやチャイナ人の歴史観の欠陥】
「自分たちは抑圧されてきた」という歴史観は、潜在意識に「おまえたちは弱い」「あいつらを憎め」「あいつらには何をしてもいい」を刷り込んでしまいます。

代表的なのは、コリアン、チャイナ人の歴史観です。
◯ロシアが南下する、列強が最後の未分割地であるアジアを虎視眈々と狙っているという当時の「国際情勢」
◯自力では全く近代化できなかったという「自責」
◯日本が、これらの地域の近代化に努めたという「功績」
を全く抜きにして、「日本によって抑圧された」ということばかりを強調するわけですから、冒頭で書いたような大変おかしなことになってしまいます。

【「GHQガー」はコリアンと同じ恥ずべき歴史観】
これは一部、日本にも当たっており、「GHQによって自虐史観や変な憲法を押し付けられた」という主張があります。
◯当時の「国際情勢」から見て、アメリカは、日本が二度とアメリカに敵対しないようにしたかったわけですし、
◯1920年代頃からの超格差問題を日本単独では乗り越えられず、かつ民主主義を封印して左翼軍国主義・統制経済を導入してしまった「自責」があります。
◯一方、アメリカは天皇を象徴という形で残し、民主主義を復活させ、マーシャルプラン、財閥解体、農地解放などで中間層を創り出すことに貢献した「功績」があります。

むしろ、主権を回復した1952年より後の日本の政界やメディアが、一向に「独立自尊」の気概を復活させようとせず、「いつか来た道」「9条」といったキーワードで国民を思考停止の状態に置いてきた責任が大きいと思います。

かつては、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)というGHQが採った日本占領政策について憤慨していましたが、最近は上述のように、日本の不作為の罪が大きいと思うようになりました。
その根っこは、「GHQに抑圧された」という歴史観は、日本人の気高さを貶め、自らコリアンやチャイナ人と同じレベルまで品性を下げようとするもので、よろしくないという思いです。

もちろん実際にWGIPがあったという事実を知ることは重要です。そこを出発点にしないと、改善ができませんから。

【独立後になぜ軌道修正しなかった?!】
ここで言いたいのは、GHQが去った後、日本人として、
◯なぜ国民が不幸になる戦争に突入したのか、軍国主義の災厄を総括し、
◯二度と再び軍国主義に走らない方策を考え抜くとともに、
◯現実的に国防をどうするかをきちんと考える
必要があるのに、それを我々は怠ってきたのではないか、ということです。

アメリカに依存しながらアメリカを批判するというのは、精神分裂を起こすだけで、真っ当な議論ができるわけがありません。

とは言え、戦後日本の保守が選択したのは、
◯自由と民主主義であり、
◯日米安保の下、防衛費を抑制して民生に予算を回すという財政政策であり、
日本が高度成長を果たしたのは、戦争を経験した世代の保守層によるこうした基本路線、言い換えれば、「平和憲法を方便としてアメリカへのカードに使用する」という基本路線があったという点を見落としてはならないでしょう。

あの戦争を経験した世代としては、もう戦争はこりごりだというのが本音のところだったでしょう。

その世代が後世の我々に与えてくれた恩恵には素直に感謝する必要があるでしょう。自由で民主的で、経済的に豊かな社会を残してくれました。

しかし、前の記事で述べたとおり、1970年代あたりから、「それは方便だ」と認識する人が減り、日本の「言論空間」が漂流し、ともすればキレイに聞こえる無条件の平和主義などへと、どんどん流されていったことは禍根が残ると思います。

反日的な歴史観が日本で製造され、それをコリアやチャイナが悪用するようになったのは、「言論空間」の本音と建前を弁えなくなってしまったからであろうと思います。
その負の遺産を未だに我々は抱え、コリアやチャイナには願ってもない遺産、外交カードを与えてしまっているのです。
その原因の殆どは、上述の「不作為」です。

戦後の日本人の方便の知恵と功績の上に今の豊かな生活があることには大いに感謝しつつ、戦争の脅威から、国民共通のインフラである「国家」を守るための現実的で真っ当な議論、「独立自尊」の議論ができる「言論空間」を作っていくことが、今を生きる世代の責務だろうと思います。

「正の遺産」を継承するには「負の遺産」も継承し、負を正へと変容させていく必要があるのですから。


【「戦後」についての日本人らしい歴史観】
コリアンやチャイナ人とは違う日本人として持つべき歴史観としては、以下のような感じになろうかと思います。

◯アメリカの占領政策は、日本が自由と民主主義に立脚し、中間層を創出して高度成長する功績が大きかった。日本の保守も、それに呼応して軍国主義から脱却し、自由と民主主義を確立させた。
(注)吉田茂は戦前から本当の意味での「リベラル」だった(今の左翼崩れの似非リベラルとは全く違う。)。彼の「日本を決定した百年」は、彼の「歴史観」を後世に遺しており、今だからこそ読むべき書です。

◯一方で、GHQは「言論空間」に対して、後の自虐史観の元となるWGIPという罪なことをやったが、それはアメリカの国益のためのシビアな政策判断(当時は占領下であるので、アメリカの国益に合致した占領政策をとるのは至極当然。)。

◯日本は、主権回復後に「言論空間」を変えるチャンスはあったが、当分は「方便」で占領下の「言論空間」を維持した。また、中ソの指示を受けた左翼は自虐史観を助長した。
(注)アメリカ側にしてみれば、アジア分断が得なので積極的に変える動機は存在しない。

◯1970年代あたりから、日本国内で「方便」であることが忘れられてしまい、自虐史観なら何でもありの環境が形成された。
(注)日本人は、集団で「国を守った兵隊さんに無実の罪を着せる道」を選択したが、この道徳的退廃に殆どの日本人は気付かず、罪の意識を感じなかった。

◯その結果、「言論空間」が歪んだまま、日本国内で自虐史観に沿って作られた虚構の歴史観がコリアやチャイナにとっての外交カードとして悪用されてきた。
(注1)本当なら、このあたりで「あれは方便だった」という言論が湧き起こるべきだった。
(注2)先人に「無実の罪」を押し付けた結果、日本はその後、国際社会で様々な「無実の罪」を着せられて苦しむことに。。。


【今こそ「歴史観」を持とう】
戦後の日本人は、ごく一部を除き「歴史観」を重視しません。その証拠に歴史学会には二流の学者しかいません。たまたま一流の人材がいても、歴史学会で偉くなるのは難しいでしょう。

しかし、
◯超格差の1920年代から戦争突入、敗戦へと至るまでの「歴史観」、
◯戦後から1970年代あたりの「歴史観」
をきちんと持つことで、現代を生きる世代の責務、命の活かし方が変わってくるように思えます。「志」が変わってくると思います。

前者は「戦前の『自己』総括」であり、戦後この「自己総括」がなかったから、WGIP→自虐史観への対案がなく、高度成長期にはエコノミック・アニマルと蔑まれ、「言論空間」が漂流したということも言えると思います。

歴史観とは、ある価値観の切り口で歴史を著述するということです。歴史観がないのは価値観を持たないのと同じです。

この「エコノミック・アニマル」というのは、◯日本は大国になったが、経済以外の日本人の「価値観」が見えない。
→だから、どこに向かおうとしているのか見えない。
→だから、予測不可能な危険な国
という、価値観なき日本人への危惧の裏返しだったろうと思います。

未だに戦前の「自己総括」がない日本は、エコノミック・アニマルと呼ばれた時と大して違っていないんじゃないでしょうか。

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